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私とアリス

 鏡を見てギョッとした。数日前から前髪の分け目のところに、元気な白髪が一本ピンと立っていることは知っていた。早いとこなんとかしなくっちゃ、と思っていたところだ。
 ある晩、時間に余裕ができたので、じっくり自分の髪に向き合っていると、出るわ、出るわ、たくさんの白髪ちゃん。こんなに増えたんだー、とためいきをつく。
 次から次へと発見してしまうので、すぐに10分くらいたってしまう。貴重な休みをこんなことで無駄にしたくないと思いつつ、ハマってしまう。これってキリがないんだな、きっと。
 毛の途中から白くなっているのや、根元だけ白いのがたくさんあったから、これらが全部、完全な白色になったとき、どうなっちゃうんでしょう。

 あんまり深く考えてはいけない。時が止められないということは、老化も止められないのだ。

 白髪探しをあきらめた(というか、飽きた)私は、買い物に出かけることにした。
 とりあえずスターバックスコーヒーへ入る。読みかけの「鏡の国のアリス」はしっかりバッグに入れてきた。スタバに行く時、本は欠かせない。

 いつものラテにチョコレートソースを追加した。カップの中の泡にかかったおいしそうなチェック模様を見ていると、胸がときめく。ああ、久しぶりの甘やかされたい気分。
 コーヒーとチョコのゴールデンコンビを満喫。

 こんなことを書いていて、アリスをテーブルに置いたままだった。まだ、途中までしか読んでいないけど、いつかこんなナンセンスな小説(しかも傑作!)を書いてみたいって思う。

 それでは、本の中のおとぎの国へ。アリスの夢が覚めるまで。
 でもその前にスタバが閉店しちゃうかもしれない。
 時間に限りがあるから、このひと時が大切になるってことだ。
 ページを開くと、兵隊たちが森の中を駆け抜けている。さてライオンとユニコーンの決闘はどうなるのか。
 同じ鏡の中でもわが家の洗面所のとは、えらい違いだな。



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7月のある休日


 真夜中に雨が降り始め、やがて開け放った窓からザーザーと大きな音が聞こえてきた。
 ベッドにもぐりこんだ私たちは一緒に耳を澄ましながら、思ったことを口にする。
「こういう夜はよく眠れるんだよな。もっと、降れ」
と、彼が言う。
「雷が落ちたらどうしよう」
 私は暗闇に落ちる雨に少し怖い気持ちがしていた。
 温暖化のせいか、ここ北海道でも年に数回は雷雨が来るようになった。
 子どもの頃、カミナリ様といえば絵本の中に出てくる珍しいもので、実際に見られる機会はそうなかった。初めて稲光を見た時の興奮を今でも覚えている。

 日中は27℃もあって、蒸し暑い一日だったから、ようやく雨が降り出したかという感じだった。朝になって雨が止んでいれば、清々しい青空が広がっているに違いない。夏の雨はだいたいいつもそうなのだ。

 気温が高い時間帯を避けて、夕方、バラ園へ出かけた。この時期、大通公園には多くの種類のバラが咲いている。

 7月上旬はラベンダーとバラの季節なのだ。紫陽花は小さなブロッコリーのような蕾をたくさんつけていて、まだ咲いてはいない。

 バラの美しさを何かにたとえるとしたら、何があるだろう。いろいろ考えて思い浮かんだのは、月の光くらいである。
 バラには露がよく似合うし、もしその濡れた姿が月の光に照らされていたら、この世のものとは思えないほど優しくて、心を打たれるだろう。残念ながら、想像するだけでまだその光景を見たことはないのだが。

 そんなことを考えているうちに、やがてバラ園全体が黄金色に染まり、ベンチには夕涼みをしている人たちが静かに風景に溶け込んでいる。先ほどの暑さが嘘のように涼しい風が吹いて、時がゆっくりと流れていた。

 大通公園を札幌の中心部に向かって歩き出す。
 ライトアップされたテレビ塔、街のネオン、木々も、ほのかに光る噴水もなにもかも美しかった。情緒的だった。
 ここはなんて美しい都市なのだろう。

 短い夏がもうすぐやってくる。やがて夏を楽しむことに夢中になり、花のことなどすっかり忘れてしまうだろう。
 昔は夏が短いことが悔しくてしかたがなかった。
 夜には楽しいことがたくさんあった幼い日々を思い出しながら、眠りにつく。あのワクワクとした待ちきれない気持ちは今も消えない。
 


私、更年期かしら

 昨日は仕事中に具合が悪くなって吐いてしまった。
 早退して家で寝まくった。朝起きてもまだ調子がイマイチだったので、病院へ行くことにした。

 大病院で診察を受けたのはずいぶん久しぶりだった。
 少しめまいと嘔吐があっただけだったが、「点滴を打ち、血液検査をしてよく調べましょう。脳の方も検査した方がいいですね」と言われて、ちょっとビビってしまった。

 3年くらい健康診断を受けていなかったので、ま、いっか。
 検査の結果は来週出るとのことだった。

 家に帰ってパンを食べ、薬を飲んだが、なんだかヒマだった。
 外の風に当たりたい気分。
 家でじっとしているより、散歩に出たいと思った。

 近所のパン屋をのぞくと「1000円以上のお買い上げで、オリジナルトートバッグをプレゼント」のポスターが貼ってあった。3日間限りのサービスだ。
 こんなことで私のテンションはいとも簡単に上がってしまうのである。メールや電話でパン好きの知り合いにも教えたくなってしまうのであった。
 少し冷静さを取り戻して、再びテクテク。
 おいしそうな牛肉専門店があった。高いけどランチタイムならいつか食べに来られるかもしれない。
 昨日の朝食以降、ほとんど何も食べられなかったくせに、この食欲である。

 さらに歩く。信号待ちをしていると、ふと「人間ってなんで病気になるんだろう」急にそんなフレーズが浮かんできた。「ずっと健康で年を取れればいいのに」
 なんだか悲しくなってきた。

 ショッピングセンターに入って、スタバで何か飲もうか悩む。コーヒーを飲んでまた胃がムカムカしてしまったらどうしよう。
 やっぱりまずは本屋だな。ということで、2階へ上がる。
 そして本屋に着いた途端、真っ先に目に入ったのは「7日間で突然頭がよくなる本」(小川仁志 著)。
 んな、ばかな。7日間で頭がよくなるわけないじゃん。そう思いつつ、興味がないと言ったら嘘になる。
 その横には「雑談力の上がる話し方」(齋藤孝 著)と「聞く力」(阿川佐和子 著)。
 気になる。気になる。頭よくなりたくないっていう人、本当はいないだろう。
 しかしそれらの後ろにあった「大泉エッセイ 僕が綴った16年」(大泉洋 著)の方がやはり気になるのである。
 この辺の商品の並べ方、見せ方のセンスが、本屋の力量を表しているような気がした。うまいなあ。

 本屋が経営しているガラスの向こうのカフェ。
 たまにはぜいたくしてカフェにでも入るか。息抜き、気分転換、リラックス。なんて素敵な響き。

 ダージリンティーだけ頼むと630円。ケーキセットにすると750円。
 こういう選択って「誘惑との戦い」とも言えるのではないだろうか。紅茶だけ飲むつもりで入ったのに、やっぱりケーキセットを注文してしまうのだ。意志が弱いということだろう。

 そういえばここは以前アルバイトの面接に来て、落ちた店だった。
 こういうカフェにも一人で堂々と入ることができる、私は神経の太いおばさんなのだ。


Tokyo Vacation

 東京の風は生あたたかった。

 友人は私が泊まるホテルのフロントで待っていてくれた。数年ぶりの東京は私に少しばかりの緊張と不安を与えていたけれど、彼女のおかげでそれもすっかりなくなった。久しぶりに会って、一緒にランチを食べた。彼女の近況を聞いて、真面目に生きているなと感心し、自分の怠けぐせを再認識。
 前に会ったときと私たちはちっとも変わっていない。これって、いいこと?安心できたのだから、今日はこれでよかったことにしよう。

 夜には大好きなウクレレプレーヤーのライブ。他のファンの知り合いにもたくさん会場で再会し、楽しいひととき。ライブの後は打ち上げと称し、ホテルのバーで飲んで食べた。

 部屋に戻り、窓から夜景を眺めた。急に襲ってくる一人ぼっちの時間。
 でも私はこの時を待っていたような気がした。

 明るい光の下にある地上には濁った空気がうごめいている。
 この街の夜景を見るたび、いつも思う。「自分はちっとも頑張っていなかったんじゃないか」と。
 過去と現在が交差し、まるで20年前のことが昨日のことのように思えてくる。やがて昔の自分が今の自分と入れ替わり、ここに立っているような気がしてくる。
 どんどん姿を変えていく大都会にいて、なぜそんな感覚にとらわれるのだろう。

 地上にある数え切れない人生を想像し、自分がちっぽけな人間に感じる。だがそれは決して嫌なものではない。暗い感じでもない。むしろ、この街の、世界の一部であることにうれしさを感じるほどだ。

 それだけ東京に魅力があるということなのか。

 翌朝、エレベーター前の窓から見えるスカイツリーがとても素晴らしくて、写真を撮った。これは自慢の一枚になるだろう。

 スターバックスでいつものラテを飲みながら、「スタバがあれば、世界中どこへでも行ける」そんなことを思いつく自分がおかしい。暖かいラテで体は汗ばんだ。

 今、ここにいることをとても幸せに思える瞬間だった。


本当の私


「私は人見知りです」と言ってしまうのは簡単だ。

 言葉どおり、私は元来、人見知りであった。
 幼少の頃は、知らない人に話しかけようとするだけで、気分が憂鬱になったものである。
 理由はずっとわからなかった。
 私は周囲の人々の言動をよく観察する子で、まるで自分を取り巻く世界の傍観者のようだった。

 ある日、人生相談を読んでいて「人見知り」とは「自意識過剰」のことなのだ、ということを知った。精神科医がそう回答していたのだ。
 言われてみればそうかもしれない、と思った。
 相手にどう思われるか不安だから、人見知りだったのか、と。

 その記事を読んだとき、私はもうすでに自意識過剰な女の子ではなかったが、最近になって時々、大昔の私が顔を出すのだ。

 更には、そんな私なのに、「人見知りだから」と言う人が苦手である。
 初対面などでそう言われてしまうと、もはや自分が拒絶されているのかと、勘ぐってしまう。
 「いい年をして」と心の中で思ってしまうのだ。自分のことを棚に上げて。

 社会人になってからは、人見知りだと悟られないように振舞ってきた。
 それは必要に迫られてのことだったように思うが、私の世界は格段に明るくなった。

 性格は変えられる。
 なりたい自分に近づくことができるのだ。
 その可能性は無限大。

「人なんて変わるわけないさ」と思う方は、どうぞご自由に。

 人生の主役は自分しかいないのだ。
 傍観者でいるのはもったいない。


Appendix

プロフィール

RISA

Author:RISA
本とカフェ巡りが好きな40代女性です。北海道札幌生まれ。
いつか本を出版するのが夢☆です。

現在、およそ2日に1度のペースで更新中です。

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