Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

時計台の鐘がなる札幌の市民です~札幌市民憲章より


 札幌時計台といえば、いわずと知れた日本三大がっかり名所の一つである。とはいえ観光客にいつも周りを取り囲まれ、地元の人が見学するのは場違いな気がするほどだ。
 私は最近生まれて初めて時計台の中に入った。そして居合わせた年配のご婦人に
「私、札幌で生まれ育ったんですが、時計台の中に入るのは初めてなんです」
と話しかけた。すると
「あら、あなたまだいいわよ。私なんて87年間で初めて入ったのよ」
と言われてしまった。
 ひょんなところで年の功を感じたわけだ。

 それはさておき、私は明治ロマンが大好きだ。私のいう明治ロマンとは作家、有島武郎の未完の大作「星座」の世界だ。執筆中に自殺してしまったので、この物語は完成しなかった。つまりストーリーに終わりがないのだ。それがよけい私をロマンにかきたてる。現実の世界だって終わりがない(いつかは終わりが来るかもしれないが)。今という時は明治時代から、またもっとはるか昔から続いているのだ。

 「星座」の中では当時の札幌農学校(現、北海道大学)の学生たちの暮らしが生き生きと描かれていた。
 有島は農学校の19期生だった。晩年に(といってもまだ30代であるが)、札幌で過ごした学生時代を思いだし書いたのである。それはあまりにリアルな感じがして痛々しいほどだった。
 私が一番印象に残っているシーンは、結核を患いながら学業に励み仲間と分かち合う主人公が、一人で時計台の塔に上るところだ。
 農学校の演舞場だった二階建ての時計台から、当時の札幌を一望することができた。人口はまだ3000人余りだった。鐘の音は町中に鳴り響き、時刻を知らせた。
 主人公は塔の西向きの窓から景色を眺める。彼の目から見えた札幌の町並み。その描写は当時の写真よりもはるかに私の目に焼き付いた。
 有島の本を読んだきっかけは、祖父がニセコ町出身で有島と同郷だったからだ。幼い頃一緒に遊んだこともあったと聞いている。
 つまり有島の小説の世界は、私にとって祖父が見た世界そのものなのだ。「星座」に登場する若者一人一人が星ならば、祖父もまたその星の一つなのだ。
 本のあとがきによると、実は時計塔には西向きに開かれた窓はない。南向きについている。有島の記憶違いだろうと書いてあった。
 読み終わったあとすぐに確かめにいった。その通りだった。
 このことが時計台をさらに身近なものに感じさせた。

 今では高層ビルに囲まれ多くの人をがっかりさせてしまうが、明治11年にはここは広大な農学校の敷地だった。その姿を想像してみれば少しもがっかりする必要などないのだ。

 87歳のご婦人は「私、若い頃よく歌ったものよ」そう言って「時計台の鐘」という曲をなつかしんでいた。
 私はこの曲を知らない。なんだかさびしい気がした。
 この気持ちは私が生まれ故郷、札幌を愛しているという証拠に他ならないのだ。
スポンサーサイト

おさるのじょーじ(Curious George)


江國香織の「絵本を抱えて部屋のすみへ」を読んで

 この本には江國さんのお気に入りの絵本が30冊以上紹介されている。私のお気に入りも何冊か入っていてなつかしかった。


 子どもの頃から本が大好きだった。特に登場人物が動物のものはたまらない。
 たとえば「おさるのじょーじ」シリーズ。
 黄色い表紙にまず胸がわくわくする。明るくてゆかいなストーリーが書かれているに違いない、そんな感じがする。表紙を見るだけでときめいて、胸に抱いたりすればいっそう愛着がわく本だった。

 ある日動物園を抜けだして、バスの屋根の上に飛びのって町を見学するじょーじ。あの町の楽しそうなことといったらない。ビルディングも車も本当にすてきですみずみまで絵をよく見ていた。もしかしたらこういうサルがどこかにいるのかもしれないと思っていた。だから外を歩くときは、バスの屋根の上を本気でサルがいないかチェックした。
 いろんな偶然が重なってじょーじは次から次へと新しいことをやり始める。皿洗いやビルの窓ふきの仕事をやったりもする。コックさんと地下鉄に乗っていき、ビルの管理人さんに仕事を紹介されるあたりが妙に自然でおもしろい。
 うさぎ小屋の中にいる子うさぎを一匹だけ出して一緒にかくれんぼをしようとしたりもする。取り出した子うさぎを手のひらにのせて、うれしそうにする様子といったらない。少し得意げな顔だ。でもじょーじには失敗がつきもの。かくれんぼだってそううまくいくはずがない。じょーじが子うさぎをつかまえられるわけないのだ。タコをあげちゃダメだよと言われるとあげてみたくなって、一緒に空に舞い上がる。助けてくれたのはヘリコプターに乗った黄色い帽子のおじさんだ。ロケットに乗ったり、映画に出たり、足を骨折して入院したりで、大忙しのてんてこ舞い。病院じゅうを町じゅうを巻きこんで大騒ぎになってしまう。怒られたり泣いたりもするが、じょーじの好奇心はとどまるところを知らない。
 じょーじのような冒険に憧れていた。町も出会う人々も、目にする世界すべてが安全で楽しくてしかたがない。そう思いたかった。
 気づくとみんなに愛されているじょーじ。理屈抜きで大好きだった。
 それなのに江國さんはじょーじの冒険ぶりがあまりにヒヤヒヤものなので、子どもの頃楽しんで読めなかったという。そんな子どもがいるなんておどろいた。大人になって初めてじょーじの本をリラックスして読めたなんて。
 今、読み返してもわくわくする。じょーじが私にあたえた影響ははかりしれない。一歩、外の世界に踏みだせば、こんなにときめくことがいっぱいあることを気づかせてくれる。じょーじは最高の友達であり、ときどき自分自身であるような気もする。

本と本屋とわたし

 なにか書くことないかな。そう思ったら本屋に行く。そこには無限にテーマがころがっている。
 どんな分野の本が好きかというと、それは少しずつ変わっていく。
 そして興味ある世界は広がっていく一方だ。

 本屋が好きだ。いるだけで落ち着く。知りたいことが次から次へと出てくる。
 冒険ができるし、学生にもなれる。経済学の講師にも会える。もちろん知らない国にも行ける。知らない国の言葉もしゃべれる…ようにはならないけど。
 
 外国語のコーナーに行くと、いつか話せるような気がしてくる。勉強さえすればバスク語のひとつくらい習得できるのかもしれない。一体、自信過剰か好奇心旺盛のどっちなのだろう。バスク語がどんな言語か全くわからないのに。
 英語のコーナーは驚くほど広い。
 それに比べてその他の外国語は一番奥の控えめな棚におさまっている。
 ハワイ語、スワヒリ語、アルメニア語。このくらいならなんとなく知っている。エスペラント語、カタルーニャ語、オック語、アッカド語。これらの言語になると、世界のどの辺りで話されているのかちんぷんかんぷんだ。
 それでも一冊手にとって読んでみれば、日常会話くらいできるようになると思ってしまう。やってみたら案外できるのかもしれない。やはりそう思っている。

 本は私をすっかりその気にさせてしまうのだ。
 過去の試験対策は、この勘違いな性格のおかげでずいぶん得をした。問題集や参考書を手にしただけで、もうそれらを読み解いている自分を想像していた。こういう性格だから合格できたのかもしれない。

 最近は小説、エッセイのコーナーをよく見ている。こういう分野の本はあまり読んでこなかった。だから読んでみたい。たいした理由ではないが、行動を起こすには十分だ。

 まずは10年くらい前にはまっていた江國香織の小説を再び読んでみよう。先週の日曜日「薔薇の木 枇杷の木 レモンの木」を古本屋で見つけた。そのとき一緒にレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」も買った。こうして読みたい本があるだけでわくわくする。
気がつくとなくてならないものになってる。
 本は私に時空を超える旅をさせる。
 想像の世界は無限だ。

Appendix

プロフィール

RISA

Author:RISA
本とカフェ巡りが好きな40代女性です。北海道札幌生まれ。
いつか本を出版するのが夢☆です。

現在、およそ2日に1度のペースで更新中です。

最新記事

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。