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「X」と「うなぎパイ」


 最初にことわっておきたいのだが、この頃犬ネタのエッセイを書き続け、頭にワンコがかけめぐっている。そのため今日は犬ネタを休みます。

 レッグマジックXは売上台数200万台を突破したそうだ。
 アンケートによると「続けられる」と答えた人が97%いる。
 しかしこれは「続けている」ではない。

 これは夫が気付いた言葉のトリックである。「続けられる」と答えた人の何%が続けているのかは疑問だというのだ。
「これのおかげで歩けるようになりました」
「これのおかげです」
 出演者でもないのにこういうコメントを言ってよろこんでいる、わが夫。

 笑える、が、しかし私は100%きちんと笑うことはできない。
 なぜなら私は数年前のクリスマスに自分のレッグマジックを買い「続けられない」でいるからである。

 レッグマジックにもともとXがついていたのか、買った当時のことは覚えていない。
 だがシェイクウェイトGという商品のCMを見たとき、このXが気になりだした。昔からXが商品名に入っていたのか、シェイクウェイトGのヒットにこたえるようにXをつけたのか。
 ともかくこのシェイクウェイトGはすでに600万台を売り上げている。実にレッグマジックの3倍だ。
 夫もこれを欲しがっている。CMにはブルース・ウィリス他、有名俳優のマッチョな写真がチラチラっと出てくる。もちろん彼らがシェイクウェイトGを使いこなしているかというと、そうではないだろう。だからチラチラっとなのだ。

 おそらく夫も買ったところで長続きしない。
 これは負け惜しみである。

 もうひとつ気になることがある。
 静岡県浜名湖名産のうなぎパイだ。
 私は浜松市に親戚がいるので、子どもの頃からこのお菓子をよく食べていた。
 なにが私を悩ませてきたかというと、箱に「夜のお菓子、うなぎパイ」と書いてあることだ。
 夜のお菓子ってなんだろう。
 子どもは食べてはいけないのかとも考えたが、うなぎが夜行性なのだろうという結論に達した。闇夜の中、水の中でバシャバシャと泳ぐうなぎを想像した。
 うなぎは特別な魚だから、こういうネーミングにしたのだろうと納得した。

 今日ひさしぶりに、おみやげにもらったうなぎパイを開けて食べた。よく見ると小さく英語で「A snack for nights」と書かれている。
 これはもしかして夜食気分で楽しむスナック菓子のことを意味しているのか。
 うなぎは夜行性だという説は宙ぶらりんの状態になった。というか、頭から消去しなくてはならない。でなきゃ、混乱する。

 勘違いもほどほどに。
 しかし長い勘違いだった。
 だが35年間は長いようで短かった。
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プードル   後編


 帰りに郊外をドライブし、いろんな犬がよく来ている広い公園に行った。
 私もなんだかんだ言って、犬が嫌いではないのだ。

 公園はだだっ広い芝生を木々に囲まれている。
 ふりむくと、はるか彼方に犬を連れた人が二人いる。一人が一緒にいるのはミニチュアダックスフンドだ。小さいがあの特徴のある体型ですぐわかる。
 もう一人の犬はなんだろう。ラブラドールのように大きい。いや背はラブラドールより高いかもしれない。足がスっと長い。
「あれは、まさか……」
 プードルである。巨大と言わざるをえないプードルである。今さっき見てきた白いトイプードルがただ単に大きくなったのである。そのでかさは半端ではなかった。大型犬だ。

「く、く、くっ」
 笑いをこらえることができない。なぜあんなに大きいんだろう。なぜジュンと同じ姿かたちなんだろう。あふれる疑問が頭の中をグルグルだ。
 気になって目が離せない。
 私を犬好きと判断したのか、お二人は遠くからこちらへやってきた。もう笑ってはいられない。失礼ではないか。さすがの私も必死で笑うのをやめ、一生懸命ほほえむしかなかった。
 すぐ目の前で巨大なプードルを見た。初めての経験に胸はドキドキしっぱなしだ。
 昔の洋画に出てくるプードルのように、美しくトリミングされていた。顔の毛は全部剃ってある。プードルの顔ってこんなふうになっているんだと、どうでもいいことに感心する。それにしても口がでかい。毛がないから目立つのである。ものすごくでかい。
 ジュンとちがって興奮しているわけではない。
 よく見るとかわいいではないか。真っ白い毛はとてもきれいだ。

 飼い主の女性に聞きたいことが山ほどあったが、初対面の私にそんなことが許されるはずがない。いや、何年つきあったって聞けるわけがない。頭の中にある質問を全部聞いたら失礼きわまりない。
「このプードルは、最初から大きくなるってわかっていて飼われたんですか」
この質問のしかたは一見、核心をついているのだが、実にさりげなく聞くことができた。
「ええ、うちは初めからプードルが欲しくて、わかっていて飼ったんですよ」
どうやらこの巨大なプードルが、本物のプードルということらしい。ジュンのような犬はトイプーと呼ばれるのであろう。
 このあたりに飼い主の思い、こだわりが感じられた。プードルへの深い愛情が感じられたということだ。
 よかった。大きくなるって知らないで飼っていたら、大変なことになっていただろう。赤ちゃんのときは、ジュンと同じ大きさの赤ちゃんだったにちがいない。どこまで大きくなるか、それが大切だ。

 いやぁ、犬って奥が深いですね。
 こんなに犬に心を揺さぶられた一日は、生まれて初めてだ。
 まいったなあ。なぜか降参してしまう私である。

プードル 前編

 友達の友達の家でトイプードルの子犬が生まれた。もらい手を探しているというので、親戚の家へ話を持っていくと、すぐに飼いたいと言ってくれた。交渉成立だ。
 
 この家では前にも白いメスの中型犬を飼っていた。メイという名のその犬は気の小さいところがあってカミナリや、屋根から雪の落ちる音にこわがってブルブルふるえた。そして生まれてから一度も人を噛んだことがないという、正真正銘、気弱で優しいワンコだった。
 私はメイが好きだった。初めて好きになった犬で、今のところあとに続く犬はいない。
 メイは抱っこされるのが苦手と聞いていたが、私が抱っこしたがるとガマンしてじっと膝の上に乗っていた。うれしくて、けっこう大きくて重いのに私もガマンした。

 さて、そんな親戚の家へトイプードルがやってきた。希望通り「白い女の子(メス)」である。名前はメイMay(5月)に続くジュンJune(6月)。
 玄関に入るなりギャン、ギャン、ギャン(吠え声)、前の犬とはちがう興奮の空気を感じた。
 子犬だからだろうか。激しく吠えまくるその姿は、プードルの愛らしいイメージをじゃっかん打ち砕いた。
 高校時代の友達が飼っていたトイプードルとはずいぶんちがう。プードルはすごく賢いって友達が言ってたっけ。
「まだ小さいから甘噛みするのよ」と言われ、最初のうちはまあ吠えられようが噛まれようが、さほどどうでもよかった。
 そのうち親戚が「ダメ!」と叱っても、ギャンギャンはむかっていく。
小さいくせにこの強さは一体なんなんだ。世間知らずゆえの暴走なのか。ギャング(古い…)なのか。まだ生後3ヶ月なのだから、もう少しかわいくてもいいのではないか。

 さすがにエネルギーを使い果たし、私の腕の中で眠りこけるジュン。静寂が部屋に訪れた。

 無事親戚の仲間入りをしたジュンをわが目で確かめて、ひと安心した。しかしその後、ドッと疲れが押し寄せたのは言うまでもない。
 でもきっと新しい家族に愛されて育つのだろう。
 メイとちょっとイメージのギャップが大きかっただけなのだ。
                                       つづく

不思議な犬

 犬を不思議に思うのには、理由がある。

 実にいろいろな大きさの犬がいる。
 チワワからセントバーナードまで、全部犬だ。
 チワワを何倍にしたら、セントバーナードになるのだろう。

 大きさだけではない。
 形もさまざまだ。
 ダックスフンドとアフガンハウンド。
 あんなに足の長さが違うのに、同じ犬だ。

 顔もかなり幅がひろい。
 ものすごくとびだしているのや、ぺっちゃんこなの。
 ブルドッグはシワシワだし、シベリアンハスキーはおっかない。

 毛質、毛色、毛の長さもまるで自由自在。
 ダルメシアン柄や、サモエドのようなフサフサ系、プードルのようなクリクリ系。

 犬ほど容姿がバラエティーに富んだ動物はほかにいない。
 これらをすべてひっくるめて犬と言ってしまって本当にいいのだろうか。

 しかも犬の祖先はみな一匹残らずオオカミというのも不思議だ。シーズー犬からどうやってオオカミを連想したらいいのか。
 もちろん連想する必要はないのだが。

 ひとつ思いついたことがある。
 息を切らしながら歩いている犬の様子は、どことなくオオカミに似ている。これはすべての犬に共通して言えることだ。

 昨日、二匹のシーズー犬を連れた年配のご夫婦がいた。二人ともそれぞれ一匹ずつリードを持って、犬にひっぱられながら歩いていた。
 私のすぐ後ろをはりきって歩く犬たちのハァハァ、ハァハァという息が妙にうるさい。

 そのうち私を追い越していった。
 なぜ、あんなにいそいでいるんだろう。
 また不思議なことがひとつ増えた。

野生のNew Generation (ヒグマの話)


 最近、札幌の住宅地にクマが現れるというニュースが続いた。昨年同様、けっこうにぎやかな場所にごく普通にやってくる。そして車にひかれ、血を流しながら山へ帰っていったクマもいる。
茶色い大きなものが突然横から出てきて、避けきれなかったとドライバーの話。クマもまさかあんなことになるとは思わなかっただろう。

 このような都会に姿を現すクマを近頃、アーバン・ベアというのだそうだ。
 アーバンリゾート、アーバンライフ…。クマもずいぶんおしゃれになったものである。そのうちアーバン・フォックスやアーバン・モモンガ、アーバンな老後のために、なんて言葉も一般化するのだろうか…(?)。

 クマの目撃情報が相次いだ中、とくに気になったのは小学4年生の女の子がクマを見たというものだ。
 家の近くの公園で遊んでいたら、となりの茂みからクマがその様子をのぞいていたという。まるで変質者のようだが、興味深く人間を見ていたのだろう。
 女の子はすぐその場を立ち去った。警察が現場に行ってみると、クマがふみつぶした茂みの跡が確認されたそうだ。
 この子は落ち着いて行動できたのがよかったと、新聞に書いてあった。

 このように今どきの若いクマは人間社会に興味をもち、観光気分でやってくる。昨年は町なかを1時間も歩き回ったクマがいた。時代は変わったのだ。
 昔のクマはとても用心深くて、山のエサが足りないからといって家畜を襲うことなど本当にめずらしいことだった。
 クマの大好物のどんぐりを増やすために、山にミズナラを植える活動などもあるそうだ。
 私は専門家ではないのでよくわからないが、クマはエサを求めて町にやってくるわけではないような気がする。ニュースを見たり新聞を読んだりしていると、なんとなくそんな気がする。
 目撃情報があるたびに公園閉鎖や立ち入り禁止区域が増えていく。
 でも共生したい。それがクマを射殺したニュースの後、抗議の電話が殺到した理由だろう。
 クマの行動を調べてデータ化するなり、危険を未然に防ぐ方法があればいいなと思う。クマが出たと言ってはニュースになって立ち入り禁止、駆除では、新しいすすんだ世代のクマたちと共生できないのではないだろうか。クマの写真を見ながらそんなことを考えた。


 私は10代の頃から18年間、ある猫を飼っていた。厳密に言うと飼っていたのは私の両親である。
 何が言いたいかというと、この猫がとてもかわいかったということだ。
 生後1か月でわが家へやってきたときも、18歳のヨボヨボじいさんになったときも、基本的になにをやっていてもかわいかった。
 私はこよなくこの猫に愛情をそそいだ。

 ところがこの猫をかわいいと思わない人が多数いたことも事実である。
 たとえば私のいとこ。うちへ遊びにやってきて、母が買い物にちょっと行っている間、留守番をしていたときのことだ。猫に足をひっかかれ、おそらくかじられもしたのだろう。母が帰ってきたときには、和室に一人で閉じこもって、足から血を流しひどくおびえていたという。
 親戚とはいえ家の住人ではない人と一緒にいたことで、猫は自分のほうがえらいということを誇示したかったに違いない。そういうやつなのだ。
 もう一つたとえ話をあげると、母の友達。このおばさんはしょっちゅう遊びに来て、おいしい手料理をふるまってくれた。ある日私は居間でいつもどおり猫をなでていた。おばさんは気をつかって一緒になでてくれた。その手の動きはぎこちなかった。その様子を見た母が「おばさんはあんまり猫、好きじゃないんだよ」と私に言った。
「えー、好きじゃないの?」正直びっくりした。私はこのとき、わが家の猫を好きじゃない人がいることを初めて知ったのだ。
 しかしこんなことがあっては当然だろうと思える話をあとから聞かされた。
 おばさんは台所に立って料理をしているとき突然「熱い!」と叫んだのだそうだ。見ると猫がおばさんの足に熱いおしっこをひっかけていた。ジョー!っという音とともに。
 これではかわいいと思えないのも当たり前だ。やさしいおばさんは無理をして猫をなでてくれたのだろうと思うと、せつなくなってくる。

 こんなバカ猫でもかわいくてしかたがなかったのだから、家族全員、親バカならぬ飼い主バカだった。
 あの猫が死んでもう10年が経つ。思い出すのは若くて元気だった頃のことばかりだ。年をとってからは病気がちで、死ぬ前の数日間は寝たきりだった。
 私はすでに30代だったのに、猫の命が消えたとき、自分の青春が終わったように感じた。学生の頃に出会って多感な時期を一緒に過ごしたからだろうか。いまだに何を思い出してもかわいいと思うのだ。

犬が関与した事件

 今日は札幌大通公園のオータムフェスタに行ってきた。道内からおいしい食べ物屋が集まっている。
 うに焼き、うにご飯、旭川ラーメンを食べた。
 ものすごい人だかりと暑さで、途中食べ物をあきらめそうになった。
 だが会場に来ていた犬たちはもっと暑かろう。あんなに毛むくじゃらなんだから。

 私が猫派であることは前にも述べた。実は犬のことをよく知らないだけだ。そんな気がだんだんしてきた。

 子どもの頃、祖父母の家に大きな白い犬がいた。犬はいつも玄関前に寝そべっていた。今ではあんなに大きな雑種を見かけることはない。当時この犬がこわくて、敷地に入ってから玄関の中までたどり着くのが大変なことに思えた。玄関扉の真ん前にいつもいたから、自分の足をどこに置こうかとか、この犬ちょっとよけてくれないかなとかいろいろあったのだ。
 けれどもこの犬に吠えられたり、かじられたりしたという記憶は全くない。今思えば、おとなしくて気のきかない犬だったのだろう。
 ある夜、祖父母の家に泥棒が入った。玄関前にいたはずの犬は一度も吠えなかったという。泥棒に餌をもらって食べたあとがあったそうだ。親戚中が「あのバカ犬」と言って、犬を責めた。「役立たずの番犬め」そう言ったかどうかは定かではないが。
 私は思った。犬にしてみたら勝手に番犬だと思われていい迷惑だったんじゃないだろうか、と。誰かが教えてくれたわけでもないだろう。「聞いとらん、そんな話」そう心の中でつぶやいていたのではないだろうか。
 この事件があってから、犬は人間にだまされるものというイメージが私に定着したのである。
 もちろんだます人間が悪いわけで、犬をだますどころか泥棒までしているのだから相当悪いわけである。
 あの犬は泥棒のことを餌をくれるいい人間だと思ったのだろうか。
 犬と人間の友好関係は一昼一夜にして成り立つものではない。お互いだまされないように気をつけなければならない。そう事件は教えてくれた。
 あ、でもだますのはほとんど人間のほうかもしれない。

 残暑の中、オータムフェスタに来ている犬たちを見ているとふと当時の記憶がよみがえった。
 やっぱり犬のことはよくわからない。でも犬にもそれなりの苦労があるに違いないと思う。

犬への疑問

 先日テレビで、事故で後ろ足2本を切断してしまった子猫の治療にあたる動物病院の様子を放送していた。
 私は猫が大好きである。なのでこの子猫の顔や鳴き声が数日たった今も思い出されてしまう。結局このトラちゃんは治療を終え、病院に連れてきてくれた女性にもらわれていくことになった。よかった。
 猫と犬では、犬のほうが飼われている数が圧倒的に多いらしい。なぜ?
 決して犬が嫌いなわけではないのだが、なぜだか不思議でしかたがない。
 犬好きな人は「犬は人間の一番の友達でしょ」と言う。もちろん人間をのぞいて一番だという意味だろうが、私はこの点にも疑問を持たずにいられない。
 そういう人に限って、初対面の犬をてなづけニコニコして頭をなでたりする。犬も会ったばかりの相手に忠誠を尽くしそうな雰囲気をかもしだす。
 果たしてこれが本当の友情だと言えるのだろうか。
 決して犬や犬好きな人が嫌いなわけではないのである。だが出会ってすぐお友達になるのはなんか変ではないか。出会って10分後ならまだわかる。出会った瞬間にというのは疑いを持たずにいられないのだ。
 犬はもしかして友好的なフリをしているのではないだろうか。これは真っ先にくる。
 しかしなぜ犬はそんなフリをする必要があるのか。やはりそうすることで自分が得をすることがわかっているからではないだろうか。
 いや、もしかして人を見分けることなどせずに、ただ単にかまってくれる人を求めているだけなのか。これもかなり当たっている部分があるように思う。犬によっては誰でもいい(失礼!)状態なのではないだろうか。
 なぜか犬は私にこれらの疑惑をもたらすのだ。
 知り合いの家へ遊びに行って犬と遊んでかわいいなと思っても、友達になれたとはとても思えない。まるで社交辞令のお付き合いで遊んだみたいだ。
 これはもう私に責任があるのか。犬の飼い主にしてみたら100%そうだろう。「あんた、変わってる」そういうことだ。
 しかし猫なら話は別だ。出会った瞬間にときめきを感じ、お互い黙ったまま存在を認めあうこともある(ように思う)。顔を見ればわかる。私は勝手にそう思っている。
 人が好きな猫なら、相手がどんな性格なのか近づいて確かめようとする。いわゆる様子見だ。犬のようにいきなりペコペコしたりしない(こりゃ、また失礼!)。なぜならそういう態度をとってしまうと、相手の態度も変わる。本当はどんな人なのか、ほとんどわからなくなってしまうからだ。
 そもそも会った人がどんな人かなんて、さほど興味がないのかもしれない。年を取れば取るほど猫はそうなっていくような気がする。一度きりしか会わない人なら、自分に迷惑をかけなければそれでよいとなる。そんな気がする。
 人も犬派と猫派に分かれるのだろうか。いわゆる犬好き、猫好きではなくて、犬に似ているか猫に似ているかだ。
 私は間違いなく猫派だと思うが、周りの人から見たらどうなのだろう。案外違うのかもしれない。
 でも猫派だからやっぱり他人にどう思われているかはさほど気にならないのである。
 繰り返して言うが、決して犬や犬好きな人が嫌いなわけではない。
 いつか犬を飼ってみたいと思っている。その時は白くて毛のふさふさした犬を飼って、庭付き一軒家に住んでと夢はひろがる。その頃には私の疑問も解決されているだろう。

旅するBearジェニー(イギリス生まれ)のひとりごと  その3


 ここ北海道の森でも暑い日が続いています。でも冬は少しずつ近づいてくるので、おいしい食べ物をさがす毎日です。

 さて私はついこの間とてもすてきな女性と出会いました。名前はAzuさん。
 スレンダーで白い服が似合う飾り気のない女性です。
 彼女が一人できりもりするサロン・ド・テ・アズの紅茶は本当においしいんです。
 フードは紅茶によく合う手作りの素朴なものです。茶葉はダージリンをはじめとするクラシックティーを中心に、旬のものを用意してくれています。
 一回目はマーガレットホープ農園のマスカテル DJ―186を飲みました。香りもすばらしかったし、Azuさんが言うには「味のバランスのよい紅茶」なのだそうです。たしかにそんな気がしました。本当に。
 二回目はタルボ農園のスペシャルチャイナ DJ―171を飲みました。マスカテル DJ―186より少し渋い感じがしました。「ダージリンで育つ中国の茶葉」なのだとか。
 ちなみにどちらもダージリンのセカンドフラッシュ(夏摘み)です。

 次回はなにを飲もうか楽しみです。私は紅茶が大好きだからこういうお店を見つけるとうれしくなってしまうの。Azuさんに感謝の手紙を書いておくろうかと思っています。


P.S 先日のカミナリは本当にこわかった(・∀・) 。臆病者のクマですの。

salon de the Azu  (ジェニーBearからの手紙)

 Dear Azu san

 今日あなたの店へ行ったのはこれで2回目です。
 前回同様おいしい紅茶を淹れていただきありがとうございました。

 そうそうこのブログも見てくださったのですね。とても美しい文章のメールをいただき光栄です。

 お会いしたのが2回目ということもあり、ますます紅茶についてたくさんのことを語ってくださいました。
 紅茶のことをこんなに熱く語れる方はそうはいません。あなたの言うとおり「おいしい紅茶を飲む時間はかけがえのないもの」です。

 本当においしい紅茶を広めたい、そんな思いが一人でサロン・ド・テ・アズをきりもりする原動力なのですね。東京で培った確かな勘、たえまない努力があなたの店を、あなた自身を支えているのだと思います。

 農園の名前や値段を一切見ずに試飲し、店で出す紅茶を決めている、ひとりひとりの客の好みのお茶を知っている…すばらしいことですね。

 今度お会いするときは、また私のかけがえのない時間のためにご協力おねがいします。


Jennie(3歳、メス)


おさるのじょーじ(Curious George)


江國香織の「絵本を抱えて部屋のすみへ」を読んで

 この本には江國さんのお気に入りの絵本が30冊以上紹介されている。私のお気に入りも何冊か入っていてなつかしかった。


 子どもの頃から本が大好きだった。特に登場人物が動物のものはたまらない。
 たとえば「おさるのじょーじ」シリーズ。
 黄色い表紙にまず胸がわくわくする。明るくてゆかいなストーリーが書かれているに違いない、そんな感じがする。表紙を見るだけでときめいて、胸に抱いたりすればいっそう愛着がわく本だった。

 ある日動物園を抜けだして、バスの屋根の上に飛びのって町を見学するじょーじ。あの町の楽しそうなことといったらない。ビルディングも車も本当にすてきですみずみまで絵をよく見ていた。もしかしたらこういうサルがどこかにいるのかもしれないと思っていた。だから外を歩くときは、バスの屋根の上を本気でサルがいないかチェックした。
 いろんな偶然が重なってじょーじは次から次へと新しいことをやり始める。皿洗いやビルの窓ふきの仕事をやったりもする。コックさんと地下鉄に乗っていき、ビルの管理人さんに仕事を紹介されるあたりが妙に自然でおもしろい。
 うさぎ小屋の中にいる子うさぎを一匹だけ出して一緒にかくれんぼをしようとしたりもする。取り出した子うさぎを手のひらにのせて、うれしそうにする様子といったらない。少し得意げな顔だ。でもじょーじには失敗がつきもの。かくれんぼだってそううまくいくはずがない。じょーじが子うさぎをつかまえられるわけないのだ。タコをあげちゃダメだよと言われるとあげてみたくなって、一緒に空に舞い上がる。助けてくれたのはヘリコプターに乗った黄色い帽子のおじさんだ。ロケットに乗ったり、映画に出たり、足を骨折して入院したりで、大忙しのてんてこ舞い。病院じゅうを町じゅうを巻きこんで大騒ぎになってしまう。怒られたり泣いたりもするが、じょーじの好奇心はとどまるところを知らない。
 じょーじのような冒険に憧れていた。町も出会う人々も、目にする世界すべてが安全で楽しくてしかたがない。そう思いたかった。
 気づくとみんなに愛されているじょーじ。理屈抜きで大好きだった。
 それなのに江國さんはじょーじの冒険ぶりがあまりにヒヤヒヤものなので、子どもの頃楽しんで読めなかったという。そんな子どもがいるなんておどろいた。大人になって初めてじょーじの本をリラックスして読めたなんて。
 今、読み返してもわくわくする。じょーじが私にあたえた影響ははかりしれない。一歩、外の世界に踏みだせば、こんなにときめくことがいっぱいあることを気づかせてくれる。じょーじは最高の友達であり、ときどき自分自身であるような気もする。

ガーデニング


 ガーデニングをやりたいといつも思っている。
 マンションのバルコニーではいまいちその気になれないと思い込んでいる。

 うちのバルコニーの左奥のすみっこには、鉢が三つ並んでいる。
 左から青しそ、パセリ、そしてアイビーだ。

 青しそは春から夏にかけてたくさん収穫して、食べた。冷奴にのせてポン酢をかけるとおいしい。
 しかしある日、葉に穴があくようになり、3日もすると黒い小さな点々すなわち虫がたくさんついていた。すかさずそれらのついている葉を茎ごと全てもぎとった。今はとりあえず落ち着いている。
 パセリは成長が悪く、ほとんど食べられない。
 ようやく少し食べてもいい状態にあるのだが、もったいなくてふみきれない。
 もしこのまま枯れるようなことがあったら、後悔するだろうか。食べておけばよかった、と。
 アイビーは去年の冬、バルコニーでほったらかしにしていた。だがその葉の美しさには惚れ惚れする。私は今年の冬もこの葉っぱをそのまま放っておこうと企てている。来年の春、寒い冬を耐えぬいてまた新芽を出すのだろうか。この目で確かめたい。もしそうなればますます尊敬することになるだろう。

 毎朝起きるとカーテンを開け、バルコニーへ出て水やりをする。
 
 いつかガーデニングをやりたいと思っている。その時はこれらの鉢を庭の土に移して、今までどおり毎朝水やりをする。よろこぶ様子が目に浮かぶ。

Blue day


 朝、家事をひと通り終えたら10時くらいに眠たくなって、1時間くらい横になろうかなと思ったら2時になっていた。11時に知り合いからメールが来ていたのにも気づかずに。
「これからお茶でもしない?」
 あーあ、ひまだったのに。久しぶりに会いたかった。あわてて返信。
「もう、ダメだよね?」
「もう地下鉄に乗ってうちの近くに帰ってきたとこ。またの機会に。」
 私って生理のときいつもこう。貴重な一日をむだにしてしまうのだ。
 がっかりしてパソコンに向かう。仕事になかなか集中できない。家から出よう。そう思って出かける支度にとりかかる。
 その前にヨガをひとポーズ。これで少しは気分が晴れるはずだ。

 図書館にしようか、スターバックスコーヒーにしようか。図書館が閉まる前にやっぱり本が読みたい。正面玄関に行くと工事中。ロードヒーティングの設置だ。こんなに暑いのにもう冬の準備?備えあれば憂いなしとはこのこと?
 裏口から入ってエレベーターへ。長い廊下の先の図書室。吉本ばななの「まぼろしハワイ」のある棚に直行。手に取るとすぐ座って読みふける。実はおもしろいのかよくわからないで読んでいる。これって時間の無駄?それとも読み終わったら感動が待っているのかな。30分が限度。
 図書室を出ていつものスタバへ。ここが2番目に落ち着く。1番目は自宅のダイニングテーブル。
 暑いからアイスのカフェラテ。甘いのは飲みたくなかった。これ以上自分を甘やかしたくなかったから。
 窓際の席。外を行きかう人たちの様子を見ながら、音楽を聴きながら。向かえに立つマンションを眺める。何階建てか数えてみたら7階だった。どうでもいいや、こんなこと。
 空の色が少しずつ変わっていく。太陽が沈むのが早くなった。買い物袋を持って家に帰る人たちを見ていた。

 自分はなんでこんなに弱くなったんだろう。年をとったら強くなるはずだった。気持ちが安定して穏やかになるはずだった。いや、そうなりたかっただけなのかな。
 今の幸せな自分になんの不満もないはず。ただ見えない将来が不安なだけ。不安に思っていてもしかたがないけれど。さびしさを感じない日なんてない。みんなそうだといいのだけれど。

COFFEE TALK (後編)


 カイムキはウクレレプレーヤー、ジェイク・シマブクロのホームタウンであり、彼が昔演奏していたという「COFFEE TALK」はファンにとっては聖地のような場所だ。
 店の西側にはファーストハワイアンバンクがあるが、コーヒーショップになる前はこの店の建物も銀行だったそうだ。
 高くて広い天井にはその名残が感じられる。
 青やピンクに部分的に塗られた壁には、たくさんの絵画が飾られている。そのうちの一枚はハワイ出身のバラク・オバマ大統領の顔だ。
 店員はとても気さくで、まるで友達の家へ遊びに来たような錯覚をしてしまいそうだ。来ている客はみなローカルな常連のようで、近くに大学があるせいか勉強している学生もいる。
 普段よく飲むカフェオレを頼んだら、ずっしりと重い大きなマグカップにたっぷり入っていた。ひと口飲んでみると、あまりに濃くて驚いた。

 5年前ユーチューブで、While my guitar gently weepsを弾くジェイクを見たあの日から、彼にあこがれ気がつけばウクレレに夢中になっていた。音楽が、そしてハワイが大好きになった。彼の言葉どおり好きな曲を自由に弾くというスタイルが、それまでの楽器に対する苦手意識を忘れさせてくれた。音楽を感じながら生きている。それがこんなに幸せなことだと教えてくれたのはあの天才プレーヤーだった。
 いろんな思いがよみがえり、苦いコーヒーを飲み終わらないうちに時間だけが過ぎていく。

 次の日の早朝ホノルルを発ち、日本に着くともう夢だったような気がした。

 ひと月以上たった今、ふと思い出すあの町の強い日差しと青い空、吹き抜ける風。はじめて行ったのに昔から知っていたような気がした。私とジェイクをつなぐ一軒のコーヒーショップ。確かに私はあの場所にいた。あの店の記憶は鮮明に残っている。

COFFEE TALK 3601 Waialae Avenue,Honolulu,Hawaii (前編)


 2012年7月14日。
 ワイキキにあるパシフィックビーチホテルから、カパフルアヴェニューへは歩いてすぐだ。スターバックスコーヒーやケンタッキーなどの見慣れた店が多く、ホノルルで一番レストランの多いエリアだろう。
 車の行き来が多いこの通りを、海を背にして北へ向かう。
 途中、近道をしようと思い右に曲がり、カパフルの住宅地へ入った。それまでとはうってかわって静かでかわいらしい、なつかしいような家並みが続く。
 北東へ向かって歩くとココヘッドアヴェニューへ出る。広々とした通りには郵便局や図書館、動物病院などがある。
 そのままルナリロフリーウェイ 通称H1を過ぎて、ワイアラエアヴェニューへ出た。
 左へ曲がってすぐの12thアヴェニューとの交差点、その角に一軒のコーヒーショップがある。白い看板には黒いシンプルな文字で「COFFEE TALK」と書かれている。

 この辺りはカイムキの中心地だろうか。乾いた風とどこまでも晴れわたる青い空が似合う。町の色彩は地味でそれでいて居心地がよく、ローカルな雰囲気を感じる。

 カイムキはウクレレプレーヤー、ジェイク・シマブクロのホームタウンであり、彼が昔演奏していたという「COFFEE TALK」はファンにとっては聖地のような場所だ。

World Book Café


  旅がすき。
  本がすき。
  カフェがすき。


 ワールド ブック カフェという店があると知ったときから、いつか行ってみたいと思っていた。
 その店で本×音楽×雑貨の蚤の市があったので出かけていった。

 大沢ビル5Fでエレベーターを降りると、店の外まで若い人たちであふれている。
 絵本、ポストカード、レコード、ヨーロッパのアンティーク雑貨などおしゃれなものがたくさん並べられている。
 カフェスペースではドリンクやスウィーツを手にしながら、蚤の市の雰囲気を楽しんでいる人たち。

 この日はいろんなジャンルの個性的なショップが集まっているようだ。



 二日後、再び行ってみた。世界中の本をゆっくり見たいと思ったからだ。
 昼どき、若い女性たちがランチをとりながらおしゃべりを楽しんでいる。

 この店には、若者の心を動かすなにかがあるのだろうと思う。年齢や国籍、旅に興味があるかにかかわらず、誰でも受け入れてくれる。そんな風通しの良さを感じる。

 窓に向いて座る小さなテーブルの席についた。

 日替わりランチメニューの中からハヤシライスプレート(ドリンク付き 850円)を注文し、全部たいらげた。
 
 食後の紅茶は香り、味ともにあまりなく、おいしいとは言えなかった。ティーパックなのかもしれない。



 店の本は全て席で読むことができる。販売されているものとそうでないものがあるが、本についている印で区別できる。

 本屋でもなかなか目にすることのなかった一冊を見つけた。
『世界で一番空気と水のきれいな島 タスマニア』  吉岡啓子著。

 20年以上前、オーストラリア大陸の南に位置するアップルアイランド(タスマニアの愛称)で2週間ホームステイをした。ページを開くと、長いあいだ目にすることのなかった地名が次々飛びこんできた。サラマンカ マーケット、バッテリー ポイント、キャドベリー チョコレート ファクトリー、ウェリントン山。見覚えのある町並み、港、橋のある風景。
 まさかここでもう一度見ることができるとは思わなかった。

 それだけでここに来た甲斐があったというものだ。
 ワールド ブック カフェはやはり旅と本が好きな人を楽しませてくれるカフェだった。

菊地珈琲


「父さんが塗った菊地珈琲ってお店、この近くにあるんだ」
彼の父親はペンキ屋だ。

私たちは新居に越してから、よく一緒に近所を散歩するようになった。この日はぶらりと菊地珈琲へ向かった。

入口の周りには白いペンキが塗られていた。
「おいしいよ」そう言って彼はドアを開けた。

店内にはテーブルと赤い椅子。「まるで昭和だね」と彼。
年配の男性が数人座っていた。
「奥に禁煙席もあるよ」そう言いながら私に「ここ喫煙席でもいいか」と目で合図する。
私たちは壁側の喫煙席に座った。

驚いたのはメニューを見たときだった。
ブレンドコーヒー270円、アメリカンコーヒー270円、カフェオレ280円。
全て200円~300円台でブルーマウンテンのみ430円。
やはり昭和なのだ。

私たちはアメリカンとカフェオレをそれぞれ頼み、ホットサンドを分け合うことにした。ホットサンドの具は2種類選ぶことができ、ゆで卵1個とバナナ1/2本がついていた。
「これで300円?」 驚きながら二人で食べた。
特別なホットサンドではないが、暖かい手作りの軽食。
適度な苦味がおいしい軽い味わいのコーヒー。

若い女性が入ってきてコーヒー豆を購入した。
よく見ると豆売り場には「高品質、低価格をモットーにしています」と書いてある。

「また来ようね」
特別な場所を見つけたような気持ちで、私たちは席を立った。

外へ出ると、看板のコーヒーの値段が消してあることに気がついた。うっすら230円の文字が見える。
「よかった。少しは値上がりしたんだね」
そう言って笑いながら、わが家へ向かって歩き出した。

回転寿しと床屋


 わんわんタクシー106。
 ドライブしていてこんな名前のタクシーを見かけたものだから、もううれしくなってしまった。
 屋根の上には わんわん の文字。
 ひょっとして運転手は恥ずかしいと思っているだろうか。電話に出るときも「こちら、わんわんタクシー106です」と言うのだろうか。

 それはさておき、今日は夫が「回転寿しを食べに行こう。おごってやる。」と言ってくれた。「毎日あなたのお給料で食べているのですよ」とお返事したくなる。
 しかしここはその場の空気に身をまかせよう。
 どうせこんな機会は数年に一度しかないのだから。

 おいしい回転寿し屋へ向かった。

 寿しを食べ終わったら床屋へ行きたい。床屋代をもらいたい。髪を切っている間、待っていてほしい。
 わかりやすいシナリオである。
 ついでに髪を切ったあとは、ほめてほしい。これが一番クライマックスなのかもしれない。

 おすすめメニューのさんまをまず注文した。
 そういえば彼は1皿に2個のっている寿しを1個ずつ分けあって食べすすめたい男なのだ。その方がたくさんいろんなネタが楽しめるからだという。しかしこのやり方には問題点があって①「食べたくないネタも1個食べなければならない」、そしてなにより②「大好きなネタを1個あげなければならない」のだ。
 私は10年以上前から彼にずっとこのふたつの点を説いてきた。
 だが彼は自分の考えの方が優れていると思っているのだ。
 この頃では私が妥協するようになった。気まずい思いをするくらいなら、多少がまんしても回転寿しを楽しみたいからだ。
 しかし100%それで良かったと思っているわけではない。
 私がすごく好きで彼があまり好きではない筋子を頼むと、分けなくてすむことに気が付いた。逆に彼が大好きで私が苦手なオクラ納豆などは無理にすすめてこない。
 ただこういうネタはあまりない。彼はけっこう無理やりすすめてくる。
 しかしこうして夫婦の絆は深まっていくのではないだろうか。気のせいだろうか。
 当然、汁物を頼んでも二人で分けあって飲む。別にいいんですけど。

 床屋へ行ったあと、彼の髪の毛をほめるのをすっかり忘れてしまった。帰りの車の中で「どう?おれの髪型」と聞かれ「なんか四角い」と思わず口から出てしまった。彼は一瞬変な顔をしたが、なにも言わなかった。
 家に着いて玄関のドアを開けるとき「四角いってことはないっしょ~。せっかく床屋に行った人に、四角いってことはないっしょ~」と言われた。
「そうだね、ハハハ」ひきつって笑って、笑い話にしようとしたらのってきてくれた。
 一緒に「アハハ」
 夫婦の絆はこうして深まっていく。

習いごと

 小学校一年生のとき、親のすすめでピアノを習いにいき一回でやめてしまった。
 その先生は、私には見込みがないと話していたらしい。

 見込みがないというより、興味がなかった。

 それからというもの音楽のセンスがない、習いごとはもうだめと言われ続けるはめになり、そっちのほうがつらかった。


 ピアノそのものがきらいになることはなかった。
テレビで聞いて覚えた「虹の彼方に」のメロディーは途中まで弾くことができたし、唯一両手を使って「猫ふん  じゃった」も弾けた。

 二年生のとき友達から誘われて書道を始め、佳作をとった。
 英語塾も5年間通い続けた。

 それでも音楽、楽器への憧れは、大人になってもずっと消えなかった。

 もしあの日ピアノのレッスンに行っていなかったら、なにかが変わっていただろうか。


 今でも「どうせやったって続かないんだから」そんなふうに言われるのが少しだけ苦手だ。

 「誰のせいでもないのに」

 小学校一年生のときの思いとほろ苦い記憶が、そうさせている。

旅するBearジェニー(イギリス生まれ)のひとりごと その2


 夢は森の中に小さなカフェをひらくことです。どんなメニューを用意しようか、あれこれ考えてみることもあります。どんなお客さまが来るんだろう。きっとにぎやかな店になると思います。
 店の宣伝はヤマガラの友達ヘレンにお願いするつもりです。彼女はいつも元気いっぱいに歌い、あちらこちらへ飛び回っています。
 アカゲラのルイはいつも恋人と一緒なので、手伝ってくれないかもしれません。でも仲間をたくさん連れてきてくれるでしょう。
 毎日クッキーやケーキを焼いて、お茶と一緒に出すつもりです。
 大好きなはちみつパウンドケーキは定番メニューにします。くるみ入りマフィンや、姫りんごのパイ、ハスカップのタルトはその日の気分で作ります。
 どんなエプロンをつけようかしら。大きな布で縫わなければなりません。なんといっても私はクマですから。
 故郷のイギリスにはすてきなティールームがたくさんあります。家族できりもりしている店はなぜかおいしいのです。そしてとてもリラックスできます。私があこがれているのはそんな店です。
 実はもう店の名前も決めています。まだだれにも話したことはないけど。

 夢について語るのが大好きです。こうして切り株に腰かけて、鳥たちの声を聞いていると幸せな時間がゆっくりと流れていきます。草も花も木の葉も輝いています。
 おなかがすくまでもう少しここにいて、夢の続きを心に描いてみます。
Jennie

Appendix

プロフィール

RISA

Author:RISA
本とカフェ巡りが好きな40代女性です。北海道札幌生まれ。
いつか本を出版するのが夢☆です。

現在、およそ2日に1度のペースで更新中です。

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