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妻のナルシズム

 夫に言わせると、私はナルシストなのだそうだ。
 エッセイを書いているのはナルシストだからだろうか。
 ブログを始めたのもナルシストだから?
 猫ブログにはまってしまうのも?

 なんでも検索してわかった気になるのは現代病かもしれないが、調べてみた。
 ナルシストとは自己陶酔型の人、うぬぼれている人、自分が好きな人などと書いてあった。
 自分のことはすっかりさておき、知人の中にも当てはまる人がいる。私の知っている限りでは男性に多いような気がする。よく調べると、女性より男性に多いと書いてあり妙に納得した。一緒にいてもあまりいい気持ちはしないかもしれないが、それもお互い様だ。
 

 最近、本屋で「僕にはまだ友だちがいない」(中川学 著)というエッセイ漫画を見かけた。友だちがいないことをギャグにしながら、友だち作りに励む自分を漫画にしているのだ。
 
 こういう人ってもしかしてナルシストなのだろうか。

 というのも、自分が大好きでなければそんな漫画なんて描けないのではないかと思ったからだ。
 読み進めていくうちに、なんでこの人そんなに友達が欲しいんだろうと思い始めた。そんなに苦しい思いをしてまで、あるいはめんどくさいことをしてまで作るものなのか。
 友達って、仲間って一体……。
 漫画家になりたいのか、友だちが欲しいのかどっちかにしてほしい。

 ちなみに夫に言わせると、私も友だちがいないらしい。いることはいるのだが、めったに会わないのだ。こういう場合、いないことになるのだろうか。

 実は一人って意外と楽しいのだ。やはり相当ナルシストなのだろう。
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資格


 11月1日は紅茶の日なのだそうだ。
 なんでも1791年11月にロシアに漂着した船乗りが、女帝エカテリーナのお茶会に招かれたからだとか。詳しいことはわからないが、紅茶の日があることを生まれて初めて知った。
 私は大の紅茶好きだ。毎日ポットに淹れて飲んでいる。茶葉にもけっこうこだわりがあるのだ。
 スターバックスコーヒーが日本に上陸してからはコーヒーも好きになってしまい、カフェイン中毒への道を走り続けている。

 今、アフタヌーンティーとスターバックスコーヒーがコラボ企画を打ち出している。両方とも大好きな私にとって、めまいを起こしかねない事態である。

 アフタヌーンティーはちょっと値が張るので、そうちょくちょく行くことはできない。たまに行くとメニューが変わっているので、それも楽しみだ。
 私の定番メニューはスコーンだ。スコーンって単品で食べるとモソモソしてあまりおいしくない。でも紅茶に合うように実に計算されつくした食べ物だと思う。
 
 一方、もはや生活に欠かせなくなってしまったスタバ。
 家にいるとやることが次から次へと頭に浮かんできて、おちおちゆっくりコーヒーなど飲んでいられない。主婦の仕事に終わりはないのだ。
 ゆえに近所のスタバへ足を運び、休憩するときの喜びといったら何にも代えがたい。少々オーバーかもしれないが、ほぼそれに近いのだ。
 読書に集中するならスタバ。そして注文するのはいつもオーソドックスなスターバックスラテのホット。いろんなドリンクを飲んでみたのだが、結局これが一番おいしいと感じるようになった。

 ついでに言うとアフタヌーンティーはインテリアも好きなので、カタログを見るのもひそかな楽しみだ。どちらかといえば完成されすぎていない雰囲気が好きで、ここのケーキが手作り風の素朴な形をしているのと似ている。

 ちょっと恥ずかしいのだが、実は紅茶コーディネーターという資格も数年前から持っている。
 この資格を取ったからといって生活になにも変化は起きないわけだが、履歴書の資格欄にはなぜか堂々と書いている。

頭がパンプキン


 もうすぐハロウィーン。
 私が小さかったころはハロウィーンという行事はまだなかった。
 アメリカの子どもが「trick or treat!」と言いながら近所の家をまわり、お菓子をもらう習慣があると知ったのは、何年生のころだったろう。そういう話を聞くだけでワクワクしたものだった。
 いつの間にか日本でもハロウィーンの飾りつけを見かけるようになった。
 今や秋といえばハロウィーン。そしてカボチャといえば煮付けじゃなくてハロウィーンなのだ(勝手にそう思っている)。
 カボチャの他にも魔女や黒猫の飾りをよく目にするが、いまいちその由来はわかっていない。
 加えて私はカボチャ嫌いなのである。そしてその事実が私の心に「待った!」をかける。
 口の中でモソモソするあのカボチャをくり抜き、あげくの果てに玄関に飾ったりして本当に楽しいのか、と。
 ハロウィーンを楽しめる人間になりたい。けれどカボチャは嫌い。
 毎年、葛藤である。
 気がつくと11月になっていて、忘れ去られるハロウィーン。その地位をクリスマスという一大イベントに取ってかわられるのだ。
 地味な行事でホッとしている。
 もはやワクワクした遠い記憶は、カボチャへの敗北感へと姿を変えた。
 とりあえず、もうあと2,3日の辛抱である。よかった。

リスときつね


 姉の住んでいる町では、「リスに注意」の立て看板をよく見かける。車を走らせていると、エゾリスが飛び出してくるので危険なのだ。
 姉の部屋の窓からも、目の前の木に遊びにやってくるエゾリスが見える。
 私は「いいなあ、うらやましい」と思っていたが、姉曰く「太っていてブタみたい」なのだそうだ。

 先日、登山中にシマリスとエゾリスの両方を見ることができた。正直に言うと、シマリスの方が小さくて顔もかわいい。背中の縦縞模様もキュートだ。エゾリスは冬眠せず冬毛になるため、よけい太って見えてしまうのだ。かわいそうに。(「よけいなお世話!」と怒るエゾリスより)
 もしリスのしっぽがフサフサじゃなかったらと想像してみたら、ねずみに似ていた。気がついて軽くショックを受けてしまった。
 ブタにも似ているし、ねずみにも似ている。
 エゾリスって一体、ナニモノなのだろう。

 数年前、旭川へドライブして、山の中にあるおしゃれなカフェで食事をした。
 店の周辺を散策していたら、じゃり道を歩くきつねの姿が見えた。毛はすごく汚れてやせ細り、野生に生きる苦労がうかがえた。ドキドキしながらそーっと後をつけた。トボトボ歩き続けるきつね。かなり進んでからフッと立ち止まって、横を向いた。犬だった。

 大自然を目の前にして、私はつかの間、自分を見失っていたらしい。もちろん犬にはなんの責任もない。

 今日も森で動物たちは幸せに暮らしているのかな。この年になっても、いまだにそんなことを考えながら眠りについている。

幸せな女


 「自分でそういうことを言うもんじゃない」と言う人もいるかもしれない。
 でも私は「なんて幸せなのだろう」と言いたいのだ。

 街を歩いているだけでも楽しいことが頭に浮かんできて、思い出し笑いをしてしまう。人とすれ違うとき、ごまかすのが大変だ。間に合わないときもある。
 まあ、相手に迷惑をかけているわけじゃないし、とひらきなおっている。そうしてますます楽しいことが浮かんでくるのだ。
 地下鉄の中やホームなどで、自閉症らしき人が楽しそうに笑ってひとり言をつぶやいている光景をたまに見る。つぶやくどころか大きな声で車掌のモノマネをする人、あるいは「何時何分、○○線○○行き、何時何分……」と暗記した時刻表をお経のように唱えている人もいる。
 私はそんなとき「わかる、わかる、その気持ち」と深く共感してしまうのだ。
 誰だって悲しいことより、楽しいことや好きなことを考えていたほうがいい。
 暗記した時刻表なんて口に出して言えるものなら、楽しくないわけがない。得意分野を考え話しているときは、脳だって前向きな気持ちになっているに違いないのだ。
 私はよく好きな歌が頭の中でかかることがあるが、時刻表も歌と同じようなものだと思っている。歌詞を一句一句、正確に思い出して歌が終わったときは、達成感すらあるのだ。
 こんな私って変だろうか。と聞いてみたところで、変だと思われても全然気にならないのである。繰り返しになるが、誰かに迷惑をかけているわけじゃあるまいし。
 海外旅行のときは、すれ違いざまに笑いかけるのはごく普通のあいさつなので、私はこの方法でごまかすというテクニックまで手に入れた。一人旅のときは特に必須である。
 無表情で通り過ぎていく日本人よりいいかもと思うがどうだろう。
 しかも相手が外国人の場合、迷惑をこうむっていてもわからない。

 ということで私は幸せだ。このままわが道を進んでいこうと思う。

風は秋色

 数年前からポンチョを着た若い女性を見かけるようになった。
 ポンチョなんてアニメ「母をたずねて三千里」のマルコが、アルゼンチンで着るものだと思っていた。
 もちろん今の若者がそんなことを知っているはずがない。ポンチョという響きだけで「なんかおかしい、プププッ」と思ってしまうこともないのだろう。みんなおしゃれに着こなしている。

 今日7歳くらいの女の子が真っ白いポンチョを着て、母親とスーパーから出てきた。きっとお気に入りなのだろうな。とても似合っていた。

 二年前ポンチョが気になってしかたがない私は、とうとうバーゲンのときに買ってしまった。茶やベージュも売っていたのだが、赤を選んだ。普段は地味な色しか着ないのにどうしちゃったんだろう。
 とにかく私はうれしかった。自分もマルコみたいにポンチョを着るのだ。
 家に帰ってから、たたんでクローゼットにしまった。
 ある寒い日、室内で着るのもいいんじゃない?と思った。

 夫が帰ってきた。ポンチョを着てダイニングチェアに座る私に
「なに?その奇妙なかっこう」
と言い放った。

 返す言葉を失った私。私は奇妙だったんだ……。

 当然ポンチョとは何か説明しても、彼に理解できるはずはなかった。
 私の情熱は一気に冷めてしまった。

 しかしその後も何度もポンチョを着て鏡の前に立ち、悪くないんじゃない?と言い聞かせている。
 私のセンスがないのか、彼のセンスがないのか、それは今もわからない。

最後のエサ

 秋晴れのある日、友人と二人で札幌の円山へ登った。山頂から見下ろすと、札幌の街は白く輝いていた。なんて気持ちがいいのだろう。

 樹齢数百年のカツラの巨木が何本もあった。そのうちの一本にシマリスが二匹いた。背中の縞模様が、樹皮の縦縞にすっかり溶け込んで、カモフラージュされることを初めて知った。
 カメラ好きの友人の影響をもろに受けて、私も写真を撮りまくった。とてもかわいく撮れた。カメラが自己満足のためにあることにも、初めて気づいてしまったほどだ。
 ゴジュウカラ、シジュウカラ、ヤマガラなどのいろんな野鳥も見た。しかもとても近い距離で見ることができたので、感動もひとしおだった。

 しかし登っている途中で一つ気になる話を聞いてしまった。この原始林の中で、リスにエサをやる人がいるということ。冬でもエサをやりに来るので、冬眠しないシマリスまで現れたということだ。
 もしその人が引っ越したり死んだりしてエサをやりに来なくなったら、リスたちは自力で生きていけるのだろうか。
 冬眠していた動物が冬中起きてエサを待っているというのは異常事態ではないのだろうか。
 これは心配しすぎなのかもしれないが、なんだか気になる。

 下山すると、また別のカツラの巨木のところに、カメラマンともう一人年配の男性がいた。
 カメラマンの方はクロジというこの辺りではめずらしい鳥を撮るために、3時間前から来ていたそうだ。
 もう一人の男性は手にくるみやひまわりの種をのせ、鳥やリスに話しかけていた。ヤマガラが手にとまってくるみの実をつついた。すっかりなついているのだ。そして私にもエサを手渡し「同じようにやってごらん」と声をかけてくれた。
 言われるがままにやってみると、私の手にヤマガラがとまり、エゾリスもくるみを取りにきて目の前で食べた。
 そのかわいらしさといったらなかった。毎日エサをやりに来る人がいるのもわかる気がした。

 しかし、ついさっきまで餌付けはいけないことだと思っていた私はどこに行ったのだろう。やはり野生動物にエサをあげるのは、これで最後にしたいと心の奥で思った。

悩める秋


 顔が地味なのでグレーが似合わない。顔が地味なせいなのかもよくわからない。
 ベージュも似合わない。着るとおばあちゃんみたいになってしまう。
 若い人はベージュをすてきに着こなしているが、私には関係ないと思うしかない。
 黒、紺、茶などを選んで着ることが多い。
 でももしかしたら顔が地味だから、これらの色も似合わないのかもしれない。

 私は一体、何色を着ればいいんでしょう。

 なぜこんなことで悩むのかというと、街が秋色ファッションであふれているからだ。私がこの問題で悩むのは、年に一度の恒例行事と同じである。
 こんな私でもファッションを楽しむ秋が大好きなのだ。
 しかし私にまともな答えを出せる人などそうはいないだろう。一生、考えながら生きていきます。
 
 洋服を見ながら街ブラ(死語ですか?)していたら、ビートルズのBlack birdという曲が流れていた。このタイトルも私を長年悩ませてきたのである。
 もしかしてカラス?そう思ってどうしたらよいものかと苦しんできた。
 こんな美しいメロディーなのに。
 やがてカラスが英語でcrowと言われていることを知った。またしばらくして、ヨーロッパ地方ではきれいな声で鳴くクロウタドリという鳥がいることが判明。体は真っ黒だが、くちばしは黄色くかわいらしい。Black birdがクロウタドリのことだとわかったときの安心感といったらなかった。長年の胸のつかえがとれたのである。

 ファッションにもこのような正解があればどれほど楽になれることか。苦しみながら生きるのもまた人生。今日ものほほんとするしかないのだ。

 ところで死語っていう言葉も死語ですか?

カレンダー犬の季節


 もうすっかり秋。
本屋の店頭にカレンダーが並んでいるのを見ると、季節を感じずにはいられない。
今年もあっ!という間に終わるのだろう。

 さてカレンダーのコーナーと言えば、やはり一番人気はペット系である。うさぎやハムスターなどの小動物モノもあるが、ダントツ人気は犬と猫。とくにこの手の商品は犬がふさわしいように思う。なかでも柴犬だ。
 
 新しいカレンダーを壁に貼るとき、年末であればそれは残り少ない月日を刹那に感じ、元旦であれば気持ちも新たにあらわれる。
 そんな時、柴犬の姿があるとなぜか落ち着くのである。
 もっともかなり個人的な意見であろう。どうでもいいという人も多数いることは承知である。

 そんなわけでカレンダーを眺めていると、やはりおかしくなってしまうのである。
 柴犬はかわいい。だがあの純粋無垢な、人を絶対裏切らなそうな笑顔に、心を奪われつつ同時に笑いがこみ上げる。
 そう思っていたら「笑う犬」というタイトルのついたカレンダーを発見。見本をめくると次から次へと笑っている犬が出てくる。あたりまえだ。
 月ごとにいろんな犬種のワンコたちが思いっきり笑顔でカメラ目線。なぜ笑っているのだろう。なにがそんなに楽しいのだろう。考えたってとうていわからない。走りながら笑っている犬もいる。風を切っている。清々しい。
 目をすっかり細めているチワワ。フレンチブルドッグまでが笑っている。ブルドッグっていつも困った顔をしていると思っていた。

 ああ、楽しい。犬たちが私を癒してくれる。

「うたたねこ」、「ほのぼの子ネコ」などの猫モノのカレンダーは、それはもうかわいいのだが笑いの要素は含まれていない。
 なぜ犬だけがこんなに笑えるのか、私にはさっぱりわからない。犬のパワーははかりしれない。

 おまけに「犬川柳」なるカレンダーまで見つけてしまった。
 表紙には「しつけとは いまや 犬に 習う時代(とき)」
 やはり柴犬が中心となり、さまざまな川柳とともに繰り広げられるその世界。
「いるだけで 家族の絆 強めます」笑顔でそう言い切られてしまうのである。「楽しいな 理由はないけど 楽しいな」
 もうなにも語るまい。完全に私の負けである。

「猫川柳」を見てもやはり笑えない。
 日々、犬が好きになっていく自分を感じる今日この頃。
 やはり犬の勝ちで、私は負けなのだろうか。

 犬に負けた私。どうでもいいんだけどね。

私の趣味  後編

 家に人が来て、本棚にある英語学習本を見られてしまったときは「読み物としておもしろいから読んでいる」と答えている。これは事実なので嘘つきなわけではない。

 今日も楽しく本屋で英会話のコーナーをチェックする。
 まずは「おやじギャグ英語術」
 しかしおやじギャグが英語で言えるようになっても役に立つかは微妙。
 その隣には「ジョークの教科書」と「英語落語で世界を笑す」
 本当に必要だろうか。

「ゴルフ英会話辞典」と「気楽にゴルフ英会話」
一瞬、石川遼くんの顔が浮かんだが、彼はスピードラーニングだ。こういう本を欲しがる人がいるのはわからなくもない。わざわざゴルフをやるために海外に行く日本人も多いと聞く。それは私の両親だ。
「メジャーリーグの英会話」
これはテレビ観賞用なのだろうか。解説者の英語を聞き取るための学習ということか。それともこれを一冊買って、イチローの試合を見に行ってもいいんだろうか。
「サッカーを愛する人の英語」
利用のしかたは「メジャーリーグの…」と同様と解釈した。
 ちなみに私はゴルフ、野球、サッカーにおいては、基本の「き」の字もわからない女である。おそらく「おやじギャグ英語術」の方が役に立つだろう。
「いちばんお金をかけずに英語をモノにする本」
 本当に必要なのはこれなのだろうか。いや、信用できない。そんなわけないだろう、と思ってしまう。
「日本人のヘンな英語」
 ヘンでも別にいいではないか。日本人なのだから。

 チェックが済んだから、そろそろ帰ろうっと。

私の趣味  前編


 自分で言うのもなんだが多趣味である。とはいえ、どの趣味も継続するのはある意味至難の技だ。その代表的なものがボールペン字と英語である。

 しかしこの二つには大きな違いがある。ボールペン字は何度トライしても継続できない。英語は継続できるが話せるようにならない。したがって結局両方とも身につかない。違いがあるようでひょっとして同じではないか。今、気がついた。

 今から10年以上前、ボールペン字の習得のためユーキャンのテキストを購入した。一週間せっせとがんばったが、2年以内に課題を終了できなかったので期限が切れてしまった。言い方を変えると自然消滅である。
 その後も別のテキストを本屋で2回買っている。一冊目は3ページくらいすすんだが、もう一冊は記憶にない。

 英語は勉強することが趣味なので、話せないからといって困るわけではない。ただ英語が趣味と公言してしまうと、ペラペラ話せると思われてしまう。なのでこっそり取り組んでいる。
 家に人が来て、本棚にある英語学習本を見られてしまったときは「読み物としておもしろいから読んでいる」と答えている。これは事実なので嘘つきなわけではない。

ある男


 スナフキンは私が知らないうちに「スローライフの代名詞」になっていた。
 彼と私の接点は40年ほどなかったのだから無理もあるまい。
 彼はいつの間にか、手の届かないスターになっていたのだ。

 忙しい現代社会において、彼のような生き方は理想そのものといえるだろう。
1、 テント暮らし
2、孤独である
3、川べりを好む
4、音楽が好き

 ムーミンキャラクターの中でも数少ない人間の一人で、その親近感は他のキャラクターには足元にも及ばないだろう。
 人間なのにムーミンと親友である。そして人間らしくムーミンたちが冬眠している間は、ムーミン谷から出て行くというルーティンな行動パターン。年間を通してのライフスタイルが魅力の一つといえる。

 幼い頃みたアニメでは、ミイと姉弟であるという事実は隠されていた。ゆえに謎めいたところも彼の魅力の一つとなった。いわゆる出生の秘密である。

 若いのに妙にジジくさくて、悟りをひらくこともある。
 そしてそれがムーミンのストーリーを深みのあるものにしていた。

 ムーミン谷の傍観者のようでいて、しっかり人気者の地位を確立した男。それがスナフキンである。

 彼はアニメではアコースティックギターを弾きながら歌うのが趣味だったのに、原作ではハーモニカを吹き歌わない。

 これは一体どうしたことか。彼のライフスタイルにアコギがあまりに似合うため、アニメ制作上キャラをいじったということか。
 勝手にこんなことをしては、トーベ・ヤンソンに怒られるのではないか。

「そんなこと関係ないさ」
 そう言いながら、彼は今も一人ぽつんと山の中。たまにムーミンたちと会って遊ぶのを楽しみにしている。

 スナフキンの生き方は現代人のあこがれであるが、タバコはやめた方がいいと思う。

ふしぎなムーミン一家  後編

 わたしはそのわけが知りたくて北欧雑貨店、いやギフト雑貨店に足を運んだのでした。

 店員さんは、本の解説文と同じようなことを言いました。
「ムーミンのお話はフィンランドの言い伝えや文化、その他いろいろなことが書かれていてとても奥が深いんです」
「そうですか」私は一生懸命、彼の話を聞きました。
「ミイとスナフキンが兄弟なのは知っていますか。しかもミイが姉でスナフキンが弟です。異父兄弟なんです」
「兄弟なのは知っていました。ミイが姉だったんですね」
「だからミムラ姉さんとスナフキンも兄弟なんです」
「はい」
「その他にもたくさん兄弟がいるのをご存知ですか」
 そう言ってムーミン柄の大きなハンカチーフをひろげる店員さん。
 そこにはミイの大きな母さんと、ミムラ姉さんと、ミイのように小さな玉ねぎ頭さんが何十人も描かれていました。スナフキンにはこんなに兄弟がいたのです。

 しかしこれのどこが一体おもしろいんでしょう。

 別のハンカチーフをひろげて話を続ける店員さん。
「ボートに乗っているムーミンとそのお友達。ムーミンだけが困った顔をしています。ボートに乗っているのに、周りは水ではなくてニョロニョロがたくさんいるでしょう。それで困っているんです」
そして続く。
「このハンカチーフはバンダナとしてだけでなく、お弁当を包んだり、額に入れて壁に飾ったりとたくさんの使い道があります」
「すてきですね」
「でしょう」
 私はおそるおそる言いました。
「実は一年くらい前に『たのしいムーミン一家』を読んだんです。でも全然おもしろくなかったんです」
「僕は、本は読んだことはありません」
「……え?」

 即答されて、なぜかこちらの方が恥ずかしくなりました。
 しかしこの場合、本来ならば恥ずかしいのは彼の方ではないでしょうか。
 なにかが少しおかしい。
 でもおかしいのはお互い様です。

 結局、ムーミンのことはよくわからないまま生きています。

ふしぎなムーミン一家  前編

 ムーミンってなんでしょう。

 妖精ですか。
 カバですか。

 ただのムーミンでしょうか。

 わかっていてもなんの得にもなりません。

 ヒマ人の私は、2010年9月から読んだ本のタイトルと著者名を記録するようになりました。そのメモによると私が「たのしいムーミン一家」を読んだのは2011年9月です。お値段は105円。購入先はブックオフです。
 もちろん、こんなことはなんの役にもたちません。

 ある雑誌に北欧雑貨の店がのっていて、どうやらわが家の近くにあるようなので、テクテク向かいました。
 店のドアを開けると、なぜか冬物のブーツがたくさん並んでいて、一瞬、雑貨屋はもうないのかと思いましたが、右の棚のはしっこにムーミンはいました。

「北欧雑貨というより、ギフト雑貨の店なんです」と店員さん(30代半ば、男性)。
 ブーツをたくさん置いているのは、どうやらそういう理由らしいです。深く考えてはいけません。

 ムーミンといえば、生まれて初めてみたアニメでした。ムーミンがカバだろうが、お化けだろうが少しも気にならなかったあの頃。アニメの中のムーミン一家は楽しい人たちでした。
 そしてそんなすてきな思い出に浸りたくて「たのしいムーミン一家」を読んだのです。40年ぶりにムーミンたちと向き合おうとしたわけです。

 ところが残念なことに、おもしろくありませんでした。なぜでしょう。

 わたしはそのわけが知りたくて北欧雑貨店、いやギフト雑貨店に足を運んだのでした。

今日のニュース

 え〜と、今日の北海道新聞をひらいてみる。

 大きなニュース、悲しいニュースももちろん毎日読むが、私は小さいニュースが好きだ。

「ヒグマ出没、今秋『例年並み』」
 ヒグマが出没する頻度を毎年予想しているなんて知らなかった。
 しかもそれがミズナラのどんぐりの出来具合から決められているなんて。

 くわしくはミズナラ、ヤマブドウ、サルナシ、ブナの4種の出来具合を、北海道大学などでアンケートを実施、調査し判断するらしい。
 今年は、ミズナラ 豊~平作、ヤマブドウ 平作、サルナシ 並~不作、ブナ(道南のみに分布) 凶作。
 どういうことかというと、極端なエサ不足ではないらしい。
 ひとまずホッとする。

 夕方ニュースで300キロのオスのヒグマが捕獲されたと報道していた。

 横綱の曙で約200キロだから、その1.5倍。曙さんに会ったことがないのでよくわからないが、大きいことは間違いない。

 ここ数日、畑のとうもろこしを食べ続けて、しかけられたオリにかかってしまったヒグマ。その時のヒグマはどんな気持ちがしたのだろう。

 作物を荒らされ続けた農家の人は「これで安心した」と話していた。
 これもホッとできるニュースのはずなのだ、きっと。


 ヒグマの記事の裏ページにあるのは「一本松を応援 トラボルタさんがメッセージ」

 震災で津波をかぶったが奇跡的に姿を残していた一本松は、テレビでもよく放送されていた。そして保存処理のために、根元から切断されたことも。

 私は、木や森が大好きだ。
 ぜひ復興のシンボルになって、生き続けてほしい。本当に強くそう思う。

 だが「一本松の保存には1億5千万円かかる」という文章を読んで、ちょっとびっくりした。

 記事は、だから寄付を呼びかけています、アメリカの人気俳優ジョン・トラボルタさんも応援しています、という内容だ。

 私には、震災の被害にあった方々の悲しみを、すべてわかることなどできないだろう。
 1億5千万円という額が大きいと感じた私は、心が冷たいのだろか。

 それだけのお金があれば、どれだけの木が植えられるだろう。もっと、困っている人に直接使われるような方法はないのだろうか。それともあの木を守るために使うことが被災者にとって一番良いことなのだろうか。

 いろいろ考えてしまった。

 夜のニュースで、北海道のJRバスが6億5千万円の赤字で、道がそれを補填するという。
 6億5千万円……。

 バスはなくては困る。ふぅ。

 世の中ってむずかしいものですね。

犬の世界


 もうだいぶ前から流行っているMIX犬。
 私なんて顔を見てもわけがわからなくなるから、ペットショップへ行っても素通りするようにしていた。

 わけがわからないのは容姿だけではない。
 これは絶対、私だけではないと思うのだが、犬が入ったケージに貼られているPOPを見ると、名前もわけわからんのである。
 よーく見るとわかるのだが、時間がかかる。だいたい3秒くらいだ。

 チワマルはチワワとマルチーズのMIXだろう。
 名前の次に顔を見て、なんとなく納得する。

 ヨーチワ、シーヨン、ポメヨン、シープー。
 理解するのは容易ではない。もともと犬好きの人にとっては朝飯前だろう。

 数年前、ヨーキーと言われてもなんのことだかわからなかった私である。(ところでヨークシャテリアで合っているのだろうか。いまだに自信を持ってわかっているわけではない。)

 パピマルはパピヨンとマルチーズのMIXで、チワヨンはチワワとヨーキーのMIX.

 ここで難問が浮上した。ポメキーってなんだろう。ポメラニアンとなにかのMIXなのだろうか。なんせこれらの問題は、私にはレベルが高すぎるのだ。

 そしてラブラドゥードルという犬は有名なのだろうか。ラブラドールに見せかけて、そうではない。これまた、ややこやしい犬名だ。写真を見るとテリアのようなプードルのような顔をしていた。ふむ。

 その他にも狆という字が読めなかったりする。数分考えて、もしかしてチン?と思いついた。

 狆チワはチンとチワワのMIXだから、きっとびっくりした顔をしているにちがいない。両犬とも、私にはいつも驚いているように見える。見慣れればそれが普通の顔に見えてくるのだろうが。

 犬ブログを見ていると、飼い主の目線で撮られた犬たちはとてもかわいい。そこには不思議さなどみじんもない。

 もしかして犬を不思議だと思っているのは、世界で私だけなのだろうか。

 犬ジャンル別で検索してみる。
 留守番犬、看板犬。これくらいなら理解できる。

 ひきこもり犬。
 一瞬、おやっと思うが、ようは散歩嫌いの犬のことか。

 犬見知り……。
 ここでまた、時間を要した。人見知りな性格の犬を言い表しているのか。この場合人に対してなのか、犬仲間に対してなのかどっちなのだろう。まったく、想像がつかない。

 やはり犬の世界は不思議の宝庫だ。
 しばらく彷徨うであろう。

Appendix

プロフィール

RISA

Author:RISA
本とカフェ巡りが好きな40代女性です。北海道札幌生まれ。
いつか本を出版するのが夢☆です。

現在、およそ2日に1度のペースで更新中です。

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