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昨夜


 朝起きると、夫がいつものように台所の換気扇の下でタバコを吸っていた。
 よく見ると、ニガ虫をかんだような顔をしている。
「どうしたの?そんな変な顔をして」
と、声をかけると
「作り笑いの練習」
と、こたえが返ってきた。
 なぜ、練習する必要があるのだろう…。

 そんな夫と今日は私の実家へ久しぶりに夕食を食べに行った。
 昨日のうちに父に電話をし、夫がすき焼きを食べたがっていることを話した。ちょっとずうずうしいとは思ったが、彼はすき焼きにつられやすいところが少しあるのだ。
 ところが4人でテーブルを囲み、すき焼きを食べている間中、父が「しゃぶしゃぶの方がよっぽどうまいな」を連発。
 対抗心を燃やしている(?)のか。

 食後、母が再び例のウ○コの話を持ち出した。
 前回(タイトル「昨日、実家で」にて カテゴリーは「日々、のほほん」)話を聞いたあとも、一度だけウ○コが庭にあったそうだ。ちゃんと写真も撮ったという。しかし足跡は確認できなかった。足跡をきれいに撮ろうと、わざわざ土をならしておいた。それがアダになって、周囲に人間の足跡もくっきりついてしまい、わけがわからなくなったそうだ。そんなわけで「あの写真じゃ、全然わからないわ」ということらしい。
 そして一昨日、とても大きな日本猫が庭の塀の上を歩いているところを目撃したという。
 どうやらその猫に疑いがかけられている。
 だが友人から住宅地の近くの山にアライグマが住んでいるという話を聞き、アライグマへの疑惑が取れたわけではない。

 夫はすき焼きを食べる前に風呂に入り、おいしそうにビールを飲んでいた。
 私はすき焼きの後、風呂に入ろうと思ったが、パンツを忘れてきてしまった。夫はちゃんと自分のパンツ、シャツ、靴下を持ってきていたというのに。
 しかたがないから、はいてきたパンツをまたはいて家に帰った。
 帰ってからパンツを取り替え、身も心もようやくきれいになり、安心して眠りについたのであった。
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ペリカン

 コウノトリの姿を写真で知って、軽いショックを受けてから、ある遠い記憶が呼び覚まされた。
 それは20年以上も前のこと。
 オーストラリアのメルボルンの池で、私はペリカンと出会ったのだった。
 当時、同じ学校の仲間20人と、1ヶ月間オーストラリアでホームステイを経験した。
 メルボルンはニューカレドニアを経由して、最初に降り立った思い出深き都市。ミニロンドンのような趣のある、美しくゆったりとした景観に、私はすっかり魅了された。
 短い滞在中に一日だけ、一緒に日本から来た人の友人宅へ貸切バスで遊びに行った。
 香港出身の不思議な日本語を話すガイドの同行付きである。
 友人宅へ向かっていると、突然
「黒鳥です。残念ながら。白鳥は。黒鳥です」
 そんなアナウンスの声がした。
 バスがとまった。見ると、水辺に首の長い黒い鳥がわんさかいた。
「今日は黒鳥しかいません。白鳥がいなくて残念ですね」
と、言いたかったのだろう。
 しかし私は内心、黒鳥の方がめずらしいのではないか、と思った。それどころか、実は黒鳥という鳥がいることを、この時初めて知ったのだ。白鳥なら、春になると札幌の近郊にたくさんやってくる。
 というわけで、ペリカンの前に意表をつく黒鳥との出会いがあった。
 同じ場所だったのか、再びバスでしばらく走ったのかは覚えていないが、ガイドの不思議なトークの中に「ペリカン」という言葉を耳にした。
 そして辺りを見まわすと、そこにはペリカンと呼ばれている生き物が、これまたわんさかいた。
「こ、これが……ペリカン???」
 相当激しい衝撃を受けたのである。心臓が口から飛び出しそうどころか、怖くて正視できない。
 見ているだけで、心臓がバッコバコ。そばに行って目が合ったら、もはや気を失いそうである。
 これは大げさな表現ではなく、事実をそのまま書いているのだ。ペリカンの迫力は、不思議とかいうレベルではなかった。
 あのインパクトのある顔は、クチバシの袋でさえほんの些細なことに思えてしまう。どの角度から見ても、大迫力である。
 コウノトリ同様、幼い頃見た絵本の中のペリカンとのギャップの大きさによけいショックだったのだろう。
 あの愛らしさはどこから持ってきたのか。昔の人に会ったら聞いてみたい。
 周りの友人たちも、興奮冷めやらぬ私も、みなショックで無口になってしまった。
 隣にいたS美ちゃんが、小さな低い声でボソッとつぶやいた。
「ペリカンって…、醜いんだね」
 この一言に、すべてが代弁された思いだった。
 そんな記憶をたどりつつ、ペリカンを検索。私が見たオーストラリアペリカンは、別名コシグロペリカンとも言うらしい。
 久しぶりに写真で見ると、実物ほどの迫力はないにしろ、やはり奇妙である。
 もっともオーストラリアは植物にもびっくりさせられることが多く、植物ってこんなものという概念はもはや通用しないお国であった。
 もう一つ、肝心なことがある。
 私たちが友人宅の家で遊んでいるとき、バスの運転手とガイドも一緒に飲んだり食べたりして楽しそうに過ごしていた。
 これってお国柄か?
 オーストラリア人のおおらかさにも、えらくびっくりした一日であった。

コウノトリ


 コウノトリが気になってしかたない。
 あれはひと月ほど前だったろうか。誰かのブログで初めて写真を見た。

 「は?」と言いたくなる顔だった。
 奇妙である。怖い。
 昔、絵本の中で赤ちゃんを運んでいた鳥とはイメージが程遠い。

 ツルやサギに似ていなくもない。
 だが、コウノトリの方がはるかに大きい。

 くちばしがとても長くて赤い。足も同様。
 体全体は白い羽毛でおおわれている。
 翼を広げると、先の部分が黒い。黒光りである。
 そしてなにより奇妙さを際立てているのが、目だ。

 目の周りが赤い。アイリングと呼ばれているらしい。
 これのおかげで、へんてこりんな顔になっちゃったんである。

 翼を広げた時には160センチ~200センチにもなる。
 巨大な鳥だ。

 見ていると、心臓に悪いのではないかという考えがフッとよぎる。

 ツルはくちばしで餌をついばむのに、コウノトリはカエルやねずみを丸呑みする。怖い。怖すぎる。

 こんなおもしろい鳥が日本で絶滅してしまったなんて、悲しい。絶滅前は国の天然記念物だったそうだ。
 ああ、私はコウノトリのことをなにもわかっていなかったのだ。

 今では世界的にも絶滅の危機にあり、東アジアのみに生息している。
 渡りの途中に、日本を通過することもあるという。私がたまたま見た写真は、日本を渡っていたコウノトリだったのだろう。

 なんてこった。コウノトリは赤ちゃんなんて運んでいる場合じゃなかったのだ。

 小さな希望ではあるが、1986年に絶滅したコウノトリのファンクラブがいまだに存在している。彼らは一体なにをやっているのか。これはこれで気になる。

初冬 ~文芸サークル 月のあかり お題「初冬」より

 仕事がひと段落してホッとし、通りがかったコンビニでドリップコーヒーを買う。
 コンビニのドリップコーヒーを飲むのは2回目だ。前回は寒い雨の日、体を温めるために買って飲んだ。それがいたく気に入ったのだ。
 室内に戻り、いすにドカッと腰かける。買ったばかりのコーヒーの蓋の飲み口を開ける。やけどしないよう、そーっと口にコーヒーを含んだ。ふうー。

 新聞を広げてくつろぐ私は、まるでどこかのオヤジさん。そしてなぜかそんな自分が好きなのだ。
 天気予報を見ると、今年初めての雪マークがある。明日には初雪が降る。来週には最低気温はマイナスになる。
 とうとう冬が来たか。そういえば、さっき外を歩いていたとき、吐いた息は白くなっていた。ここまで書いて、顔がニタついてきた。

 雪ほど季節をいやおうなしに感じさせるものはない。冬ほどやっかいな季節はないだろう。ほとんどの人が「寒くなって嫌だわ~」と言っている。
 しかし、私は冬が一番好きだ。その美しさと静けさはたまらない。
 冬の準備はもちろんできている。車のタイヤはスタッドレスに交換した。マフラー、手袋、ニット帽、タイツにいたるまで、冬物衣類スタンバイOKだ。
 ブーツはまだ出していなかった。家に帰ったらさっそく下駄箱の中を見てみよう。

 明日は日曜日。雪が降ったら、さっそく散歩にでかけるとするか。雪の積もった木々、白くなった街並み、遠くに見える雪山。

 こんなに雪を楽しみにしている私って、なんなのでしょう。子ども心を失わない大人なのか、ただのヒマ人なのか。
 
 毎年、楽しみにしている雪の散歩道。寒いから誰も付き合ってくれない。
 負け惜しみじゃなくて、こんな時には一人の方がいい。雪とお話しながら歩くから。元来、ロマンチックなもので。あ、ナルシストって言うんだろうか、この場合。

 と、あれこれ想像していたら、もうこんな時間。

 さて、仕事に戻ってもうひと頑張りするかな。

半分、復帰


 2,3日、座ってエッセイを書くのも一苦労だったが、今日は無事、仕事に復帰できた。しかし、ここで無理は禁物。
「かがんだりするのは、まだちょっと……」
と状況を説明する。いつもと動きがなんだか違うのか
「本当につらそうね」
などと言われる。
 早退してもよいことになり、遠慮せずに甘えさせてもらった。感謝、感謝である。
 皮肉にも腰痛に見舞われた日、80歳はゆうに過ぎているであろう初対面の男性にじーっと見つめられ
「若いっていいのぉ」
と声をかけられた。
 一瞬、私のこと?と思ったが、どうやら私で間違いないらしい。もう一度
「若いっていいですのぉ」
と話しかけられた。返す言葉が浮かばず、満面の笑顔でこたえた。耳が遠そうだったが、もしかして目も悪いのかもしれない。それとも80代にもなれば、40代の人を見て若者だと思うのだろうか。私も年をとったら、そう思うのかな。
 この男性は杖をついていたが、青い作業服を着て、現役のプライドはまだ失っていないとお見受けした。小柄でかわいいおじいちゃんであった。
 思えば数年前から、若い人と話をするだけでウキウキするようになった。子どもではなくて20代の若者にである。男女を問わずそう感じるのだから、これはもう自分が年をとったということ以外のなにものでもないだろう。
 若いっていいですね、ええ、本当に。

凹む


 腰を痛めてしまった。
 お風呂掃除をしていた時のこと、なにやら腰にいやーな感じがした。
 しかしお風呂に入りたかったので、そのまま掃除を続行した。入浴後は、体があたたまって腰の調子も良くなったみたいと思っていた。
 ブラシについた髪の毛を前かがみになって捨てていたら、腰がガクガクッとなった。洗面台の鏡に映った私の上半身が揺れていた。
 ひぇー、痛い。今度のは完全にアウトである。
 なんとか歩いて寝室へたどり着いた。ベッドの前に立ち、さてどうやって横になろうかと考えた。とりあえず、ひざをベッドについてみた。そしてベッド上で四つん這いになり、その後えらく時間をかけて横たわった。
 どんなポーズをとっても痛いが、横向きになってひざを曲げるのが一番良さそうだったので、その格好で眠りにつくことにした。
 明日は仕事を休もう。そう決心した。
 翌日は、ほとんどベッドで過ごすハメになった。
 起き上がるのに時間がかかるため、電話が鳴っても間に合わない。こういう日に限って、携帯ではなく家の固定電話が鳴るのだ。
 食欲もない。腰痛とは恐ろしいものである。
 思えば3,4年前にも似たようなことがあったっけ。もう若くないんだなあ。
 そんな私と打って変わって、夫は背広の中に赤いカーディガンを着ていく。少しジジくさい。本人いわく着る理由は「ナメられないように」
 よくわからないが、まだまだ若い気持ちでいるのは間違いない。うらやましいのぉ。

奇妙


 前回のエッセイに出てきたウ○コについて、母がこんなことを言い出した。
「人間のだったら、どうしようかしら」
とりあえず
「人間のだっていうことは、さすがにないでしょう」
と答えておいたが、その保証はどこにもない。
「じゃあ、別にいいんだけどね」
と、ケロッとしている母。
 ウ○コなんてそんなものだろうか。

 最近、私は奇妙な夢を見た。
 夢の中で、私が明石家さんまと付き合っているのだ。さんまは、白いシャツをさわやかに着ていた。おもしろくって、優しくて、笑顔がステキ。このあたりが既に奇妙である。私たちはラブラブで、私は彼に愛されてまんざらでもないのだ。
 目が覚めて、なんじゃ、こりゃ?と思った。一体、なんなんだ、これは。
 別にさんまのファンじゃないから、不思議である。

 不思議といえば、例のウ○コ事件以来、私の頭の中に実家の庭にしゃがんでウ○コしている人の姿がときどき浮かぶ。庭は夜間に人の気配を感知すると、自動的にライトが点灯するようになっている。つまり、おしりを出している姿が丸見えなのだ。
 そこまで想像しておきながら、やはり人間だということはありえないだろうという結論に落ち着く。

 世の中、奇妙なことが多いものである。
 夢の他にも、コウノトリの写真を初めて見たとき、なんて奇妙な鳥なのだろうと思った。
 あんな奇妙な大きな鳥が、空を飛んでいたなんて。日本でコウノトリが絶滅してしまったのが、残念でならない。しかしコウノトリのファンクラブがいまだに存在している。この事実も私には驚きとともに、不思議であった。

昨日、実家で

 姉から「さすがにネタがつきたの?ブログの更新してないけど~」とメールが来た。
 ネタもつきるが、私にだって忙しい日があるのだ。2日に一回の更新が容易じゃない時期がついに来たのだろうか。
 忙しいと言いつつ、昨日は実家に遊びに行ってのんびり過ごしてしまった。
 おいしいクッキーと紅茶でくつろいでいたら、普段、口数の少ない父がテンション上げ気味で話し始めた。
「庭にものすごくでかいウ○コがあったんだ。それも2回も。あんなでかいウ○コ、絶対ノラ猫じゃない」
そして手で表現したウ○コの大きさは、確かに猫のでも人間のでもない。
 隣に座っていた母も
「こーんなに大きいの。バナナみたいよ」
と、なぜかうれしそうに話に加わる。
「あれは絶対、猫じゃないわ。☆☆(以前、飼っていた愛猫の名前)は、あんなおっきいウ○コしたことないもの」
「そうなんだよ。あれはよほど大きい動物に違いない。2回もあったんだぞ。足跡もついていたんだ。まだあるから、ちょっと庭に出て見ておいで」
「あら、もう雨が降っちゃったから、ぐちゃぐちゃになってだめよ。見たってわからないわ」
と、いつになく夫婦二人で会話が盛り上がっている。
「いやー、写真に撮っておけばよかったな。足跡を調べれば、なんのウ○コか、おまえならわかったろう」
 そんな私はウ○コ博士じゃありませんって。
「あれはきっとアライグマだと思う」
と、まじめな表情で言い切った父。
 んな、バカな。こんな都会の真ん中まで、アライグマがわざわざウ○コしに来るかっつーの。
「おれはアライグマだと思うんだ。それしか考えられん。芝生の上に2回もあったんだぞ」
「この間のは、畑の土の上にあったじゃない」
「なに?あれはおれが芝生の上にあったやつを、畑に置いたんだぞ。肥料になると思ってな」
「あらやだ、私、さくらんぼの木の下に投げちゃったわ」
 旅をするウ○コか?
 もう、いい。二人で盛り上がっててください。娘より。

トムとジェリー


 夫がメガネを鼻の先までずり下げていた。
 昔どこかで見たような、ねずみのおじさんみたいな顔だった。思わず
「ねずみのおじさんに似ているね」
と言うと、
「誰?それ」
と聞かれた。
「アンデルセン童話に出てきそうな、メガネをかけたねずみのおじさんっているでしょう。穴の中に住んでいる。ジェリーみたいって言ったほうがわかるかな」
ついでに
「トムとジェリーのどっちが好き?」
と聞いてみたら
「トム」
と答えが返ってきた。
 こういう時、夫にはなんのことだか、さっぱりわけがわからないだろう。
 なんせ私は気の向くまま、思いついたままに話しているのだから。そこには気配りのかけらもない。
 そしてなぜトムのほうが好きなのか、ということが気になり始めた。しばらくして
「ジェリーよりトムのほうが好きなんだよね」
と確認すると
「いいや、ブルドッグ」
と言い出した。
「え?ブルさん?」
 急に気が変わったのか、トムよりブルさんのほうが好きなのだという。
 こうなってくるとトムとジェリーが気になってしょうがない。

 子どもの頃、私はトムよりジェリーのほうが好きだった。
 ジェリーは賢くて、小さくて、かわいい。トムにいつも勝っていたから、密かに憧れていた。というより、もし自分がトムとジェリーのどちらに似ているかと考えたら、ジェリーだと思いたかったのだ。
 ところが、今になってみるとトムのほうが好きになっていることに気がついた。
 理由は、トムが猫だからではない。たとえトムが青い猫(グレーのときと、青いときがあった!)であったとしても、トムはもう猫を超えたキャラクターであり、人間とほぼ同等なのだ。身長だって人間の半分くらいあるし、二足歩行は当たり前、タバコも吸うし、恋もする。それどころが、つぶされてぺちゃんこになってもすぐ戻る。
 そんなトムの案外、情が深いところ、いじめてばかりのジェリーのことが本当は好きだったりするところが魅力なのだろう。
 ちなみブルさんに関しては、これはもう、一度も実物を見たことがなかったブルドッグに怖いイメージがついただけ(?)だった。実際のブルドッグの愛らしさは、まさに拍子抜けだった。
 あのアニメのリズム感は、私の体にしっかり染み付いている。
 驚いたことに、トムはイギリス兵、ジェリーはドイツ兵を表す隠語だったそうだ。制作されたのは1940年代、第二次世界大戦の最中だった。
 私にとっては、古き良きアメリカの世界がテレビの中に存在していたようなものだった。
 ポパイやウッドペッカーなどのアニメもよく見ていた。けれどトムとジェリーほど再放送されたアニメもないのではないかと思う。

 ところで夫は、ミッキーマウスの友達がアフラックに似ていると言っていたが、それってドナルドダックのことだろうか。
 こういうことを言って恥ずかしくないのだろうか。
 いやいや、私よりはるかにマシだろう。
 ねずみのおじさんって、一体誰なんだ?自分でも皆目、見当がつかない。

愛のブログ

 いつも生理の前になるとテンションが下がり、気持ちがやさくれる。といっても普段からテンションが低いので、他人から見てわかることはまずないだろう。
「最近、エネルギーが不足気味で。なにかいい話ないですかね」と友人にメールしたら「あれだけブログにエネルギーを注いでいたら、不足するのも当然だよ」と返ってきた。そうだったんだ…。そして、自然好きの私にアオサギの写真を送ってくれた。
 アオサギかあ。ここ数年、見かけていないな。

 アオサギもいいが、やさくれた私の心を癒し安らぎを与えてくれるもの、それはなんといっても猫ブログである。
 猫ってどうしてあんなにかわいいんでしょう。もうデレデレである。
 自分のブログを始めてから早2ヶ月余り。それまで他人のブログをあまり見たことがなかった。この頃ではヒマをみては猫ブログを訪問。すっかり開花してしまった。
 まず私にヒットしたのは、昔飼っていた愛猫とそっくりの猫が出ているブログ。その猫とは、ずばりシャム猫だ。
 もっとも飼っていたのは姉が教会の前で拾った猫なので、純潔のシャムではなかったのだが、毛の色、目の色ともに純潔と見分けがつかなかった(ということは、もしかして純潔だったという可能性もある。どうでもいいことだが)。
 なんせ10年も前に天国へ逝ってしまったのだ。忘れかけた頃にあの毛の艶やかさを思い出してしまった。
 丸まって寝ているときの、背中や後ろ足の毛がパサパサしている様子。日光を浴びているときの、胸毛が金色に輝いている様子。
 そして手触りを思い返し、たまらん……とよだれを垂らしそうになる私。萌え~!とはこのことなのか。
 あの美しい青い目、黒くてかわいい顔、あの手、あのくさくて黒い肉球、ダミ声、愛嬌のある性格。
 猫嫌いの人が読んだら、恐怖を感じそうなエッセイである。
 シャム猫以外にもいろいろな猫のブログを見ている。やはり短毛種が私の好みだ。写真はアップがいい。毛の模様や目の色をチェックする。一見、無意味なことのようであるが、人生とはそれの積み重ねである。
 会ったこともない猫が下痢をしたと読んでは心配し、飼い主が見つかってもらわれていったと読んでは安心する。
 猫とは愛である。なんてすばらしいのだ。
 今日も無意識のうちにマウスに手がいき、ついつい猫ブログを開いてしまう。そうして満たされていくのだ。
 パソコンの画面を見てニタついている私は、まるで病人のようです。


 アフタヌーンティーとスターバックスコーヒー。このふたつについてエッセイを投稿したら、反響が大きかったので少し驚いている。
 コーヒーや紅茶が好きな人って、きっと世界中にたくさんいるのだろうな。
 寒い日に飲む、温かな一杯のドリンクが人のぬくもりを感じさせてくれることがある。そして人とのつながりも。

 地球上でコーヒー豆が作られているのは、赤道付近のエリアに限られている。コーヒーを飲む人も限られていて、その多くがヨーロッパなどの寒い土地に住んでいる。
 知人の話によると、チョコレートのカカオ豆にも同じようなことが言えるらしい。
 新興国で生産されることが多いカカオ豆は、地産地消されることはほとんどない。プランテーションで働く人々が、生涯一度もチョコレートを食べることがないというのはよくある話で、きれいに包まれたチョコレートを見ることもないのだ。
 消費するのはヨーロッパやアメリカ、日本などの国々。最高級の豆となると、さらに国が限定されるのかもしれない。

 今日は気温が10℃にも満たなかったので、外を歩いた後、暖まりたくなってスターバックスへ入った。
 実はフェイスブックの友達に教えてもらった飲み方を実践したかっただけだ。ドリップコーヒーをワンサイズ大きめのカップに用意してもらい、自分でたっぷりミルクを入れるのだ。
 いつも頼んでいるスターバックスラテだと、初め熱すぎて最初の一口がなかなか飲めない。少し置いておくとぬるくなりすぎてしまい、それはそれで楽しいとは思うのだけれど。
 ミルクをなみなみ注いだコーヒーはちょっとぬるめで、いつものラテより苦かった。ブラウンシュガーを加えてみたが、苦さは残った。
 そのせいか、思い出したのだ。アフリカのケニアを訪れた知人の話を。
 どこまでも続くプランテーション沿いの道路を走っていると、あちらこちらで「子どもは働いていません」という内容の看板を見かけるという。児童を労働させてはいけないというのは当たり前のことだ。しかし看板を見かけることでよけいに「本当は働かせているのではないか」という気になるのだという。
 もちろん私には真実はわからない。
 でももし、今ここでこうして飲んでいるコーヒーが、遠い国の子どもが栽培した豆からできたものだとしたらどうだろう。そんなことを想像してみた。
 そして身近な生活の中にも、正しいことや価値のあることを見極めていく力が大切なのだと思った。たとえそのひとつひとつが豆のように小さなことであっても。

Appendix

プロフィール

RISA

Author:RISA
本とカフェ巡りが好きな40代女性です。北海道札幌生まれ。
いつか本を出版するのが夢☆です。

現在、およそ2日に1度のペースで更新中です。

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